四
お釈迦さまは、初めに四つの真理(四諦)を説かれました。
一切は苦である(苦諦)、その原因は煩悩である(集諦)、それを滅すれば苦は除かれる(滅諦)、その為の正しい道を実践すべし(道諦)。
その苦諦の中で、逃れようのない四つの苦しみ(四苦)を説かれました。
生まれてきた苦しみ(生苦)、老いる苦しみ(老苦)、病む苦しみ(病苦)、そして死ぬ苦しみ(死苦)。
当たり前の事のようで、その当たり前の事を忘れがちです。不安とは、向こうからやって来るものではなく、忘れていたものを思い出した、というだけの事なのかもしれません。
死
仏教の基本的な考え方に「無常」「無我」、また「縁起」というものがあります。一切は止まる事なく流れ続け、変わらずに在り続けるものは無く、ただその時々に生じる関係の中で分別(思いはかること)が起こる、という考えです。
これによれば、”私”という存在も、流れの中でたまたま生じた関係の中での現象に過ぎないという事になります。一切が流れ続けるとすれば、その関係も常に変わり続けるわけですから、どこからどこまでが”私”とも言えません。全てはつながっていて余分なものなど無い、とすると、死ぬ事さえも関係が変化したということに過ぎないのでしょうか。
「死を覚悟する」などと言ったりしますが、「覚悟」という語の二文字はそれぞれ「さとる」と読みます。その境地に至る事ができれば、目の前の世界がもっと違って見えてくるのかもしれません。