会田誠


1965年新潟県生まれ。1991年東京藝術大学大学院美術研究科修了。絵画、写真、映像、立体 、パフォーマンス、小説、エッセイ、漫画など表現領域は多岐にわたる。美少女、戦争画、サラ リーマンなど、社会や歴史、現代と近代以前、西洋と東洋の境界を自由に往来し、常識にとら われない対比や痛烈な批評性を提示する作風で、幅広い世代から圧倒的な支持を得ている。 近年の主な個展に「天才でごめんなさい」(森美術館/東京 2012-13)、「考えない人」(ブルタ ーニュ公爵城/フランス 2014)、「GROUND NO PLAN」(青山クリスタルビル/東京 2018)など 。2020年自身2冊目となる小説『げいさい』(文藝春秋)を刊行。

制作インタビュー

絵画奉納奉告式と清祓式

会田誠《疫病退散アマビヱ之図》制作インタビュー2020年12月取材

この春先から大変な状況になりましたが、会田さんはどのように過ごしていましたか

本当は今年前半はとても忙しくなるはずだったのですが、展覧会などが流れて完全にやることがなくなり、若干軽い鬱のような状態のなかで、電動アシスト自転車で街をうろつき、ただただ道から街を眺めている様な3月、4月でした。

新型コロナウィルスのパンデミックによって、日本含め世界中がパニックになっているのをどのようにながめていましたか

アーティストだからといって特別なことはなく、不安なまま情報を集めて、考えて、という他の方と同じ様な過ごし方をしていましたね。そして今もしていると思います。

呑み屋など人が集まるところにも行けず、人と話す機会もなくなっていくような状態をどう感じられていますか

もとから一人呑みが好きなタイプだったので呑み屋で発散しないと気が済まないことはないのですが、でも美術やってると、なんだかんだで他の方の展覧会のオープニングなどに行って軽く立ち話して、ちょっとした情報交換などをしていたので、それ自体が人と話す機会として自分にとって少なからぬ存在だったんだな、とは思いましたね。

アマビエという表現がもつリアリティ

(図版『肥後国海中の怪(アマビエの図)』(京都大学附属図書館所蔵)Photograph courtesy of the Main Library, Kyoto University - Amabie)

この状況をテーマにして作品化する予定はあるんでしょうか

今のところないですね。
アマビエは、この話をいただいて描いたんですが、 これがアマビエに対する現代美術的、批評的な作品かというとまったくそうじゃないんです。 むしろそうじゃないところがいいかな、と思ってある程度楽しく描かせてもらいました。 アマビエは江戸時代末期あたりの、絵を描くと疫病から守られるという、 当時ウィルスを知らない庶民の不安を解消するおまじないだったんですよね。 それは、必死な、すがるような気持ちのものだったと。

今は科学的にウィルスの存在が解明されてはいるけれど、明日が見えない心の不安は、昔の人と今と、人間はそんなに変わっていないような気がしています。つまり、ウィルスのようなものに対してはお手上げなんです。だから、この絵を描いてお札にして貼るというのは、現代においても、お手上げ状態の表明のようなものです。そして、その庶民的な心の、切ない、藁をもすがるような表現にリアリティがあると思い、描きました。

近代以降のアーティストにはあるまじき思考放棄なのかもしれない

(《操》2019 撮影:宮島径 (c) AIDA Makoto, Courtesy of Mizuma Art Gallery)

アーティスト・ステートメントには「ストレートにアマビエを描く」と書かれていましたが、も少し詳しくおきかせください

これは僕以外にも継続的に他の作家さんたちに頼むプロジェクトだと聞いていたので、ひとりぐらいはイラストレーターや漫画家さんと割と同じような態度で絵を描くアーティストがいてもいいんではないかと。それなら僕がやろうかな、と。実際ネットで漫画家さんやイラストレーターさんが描いているのをみてて、ちょっと僕も描きたいなと思ったんですが、イラストレーターさんたちのような世間の人気者ではないから僕のところにオファーはこないなあと。誰にも求められていないという軽い一抹の寂しさがありましたね。というのも、僕の中に、一部ですけど、イラストレーターさんや漫画家さん、そしてネット絵師と呼ばれる方々と同じような土俵で、たまには絵を描きたいと思うところがあって。加えて僕は、デビューの時から、日本のサブカルやマンガ、さかのぼれば浮世絵的な輪郭線で描く日本的な絵画世界を現代美術に意図的に取り入れてきたので、こういう時はストレートにイラストに挑戦するというのが僕らしいのではないかと。

実際に挑戦してみてイメージの変化とか発見はありましたか

描きだしたら、絵の中身以外の雑念は消えるんです。今回は太陽が背景の真ん中にドンとあるので、その手前がすべて逆光になります。写真的な光の正しさからいったら、本当は太陽以外は全部黒いシルエットでつぶれるはずなんです。それを絵画的な嘘で、手前も潰さず。でも見ている人に「逆光だ」とわからせる――そんな絵のトリックをどのように成立させるかが一番大きかったです。

職人的イラストレーターといいますか、こういうものを描くと決めたら、あとはいかに描くかということしか考えない、近代以降のアーティストにはあるまじき思考放棄なのかもしれないんですが、たまにそういうのをするのが好きなんです。

あとは、アマビエの隣にいる人間――これが男なのか女なのか、また年齢もとても幼いのか、結構大人なのかもわからないような感じにしたいという考えが当初からあって描き始めたんです。それでちょっと筋肉つけすぎて男に近づきすぎたとか、ちょっと柔らかくなりすぎて女に近づきすぎたとか、輪郭線の1ミリ外側に出すか、内側にするかで印象がコロコロ変わるので、そういうことばかり下書きの頃はしていましたね。

© 2020 Makoto Aida Courtesy of Kadokawa Culture Museum

会田誠ならではのアマビエ

男か女か、年齢もわからないというキャラクターをアマビエと一緒に組み合わせるというアイデアはどういったものだったのでしょうか

一瞬でぱっと浮かんだものです。普通はアマビエだけ描くものでしょうが、なんとなくアマビエのペアとして人間がいた方がいい、その方が僕らしい絵になるな、と。

アマビエが漁師に「自分の姿を描け」と人間の言葉で話しかけたということは、人間の言葉を解するわけですよね。なので「太古の昔から人間と交流のあった種族」というファンタジー的な設定を考えたんです。持っている槍は、縄文時代のもりがモデルです。縄文時代あたりというやんわりとした設定ですね。そんな昔からこんなことがあったとしたら、という想像です。素潜りの漁師の姿ではありますが、なにか海の妖精のような――手塚治虫の「海のトリトン」という普通の人間じゃない存在のように、普通の縄文時代の漁師というより、なにか、もののけ的な存在です。 このふたりというか、2匹というか、この関係性は、友情や、エロティシズムなど、いろいろ想像を膨らましていただけると思います。とにかく親密さを表現しました。

巨大な太陽も、コロナウィルスとのの名称つながりで描かれたのですか

電子顕微鏡とかCGとかでコロナウィルスの図像をよく目にしていましたが、あの立体――球形で放射性のなにかがニョキニョキ伸びている、単純にしてなにか原始的な形にある意味惹かれました。人類の強敵にふさわしい形です。そして人類、地球上の生命すべてのめぐみのエネルギーを放出してくる太陽というものが大体似た様な球形だというのが大きな理由です。

無節操にお札を貼るという、あきらめの境地がかえっていいんじゃないかと思ったことと繋がるんですが、ウィルスなんて一番極小の生物ともいえないような存在がこんな高度に発達した人間の文明、全世界を揺るがしているわけで、太陽とコロナウィルスを重ねたのはコロナウィルスへのリスペクトにもなっています。いや、もうリスペクトするしかない、というような思い。太陽ぐらい根源的な存在ならばある意味負けを認めてもいいんじゃないかと。

お札(作品)を見た人たちに一言かけるとしたら

怒る人がいるかもしれないけど、強いていうとドンマイ、そんな気持ちで絵を描きました。くよくよしてもしょうがない、それぐらい相手は強敵だと。ちょっと不敵な笑みを人間みたいなやつがしていたりするのも、絵の雰囲気としてあまりメソメソせず、人類強気でいこうというような気持ちもありますね。

会田誠と角川――日本らしい風景

(《切腹女子高生》1999〜(c) AIDA Makoto, Courtesy of Mizuma Art Gallery)

ところで角川についてもお伺いします。アマチュアの人たちが生み出したものを市場に流れるコンテンツに仕立て上げるということを、角川は割と早く率先してやってきました。サブカルとも接点の多い会田さんとしてはどんなことを感じますか

僕自身がしばしばいかにも素人だなあと思うことが多くて――それは自己卑下というだけではなく、東京芸大・油絵科を出て商品としての絵画を制作するプロを目指すこともできたわけですが、狭い意味での現代美術に進むことに決めて活動を始めたときから、少なくとも僕の気持ちとしては生涯素人を続ける覚悟でやってきました。特定の技術を持ってその技術を評価する価値体系があって、そこの一員になるということではなく、不安定で固定しない価値観のるつぼの中で、サバイバルし続けるということを、割と実行してきたと思うんです。ですから、僕の活動はネットの絵師さんやライトノベルの書き手さんとかよりも不安定というか、自分の居場所が本当にはないと思っています。日本限定の話ではありますが、現代美術というジャンルが社会的に存在していないような面を楽しんでいるんですね。

角川は基本的には日本文学の伝統をベースにしている出版社だと思いますが、ライトノベルなどもやっていて、不思議な動きだけど、自分と似た様なところがある、なんていうとおこがましいですが、日本に角川グループというのがいて、美術家には会田誠というのがいる、ということの理由として、なにか共通したものがあるといえるのかもしれない。うまく言えないですが、欧米ではあまりないけれど、日本らしい風景なのかなぁと思わなくはないですね。

イラスト的な制作はこれで最後になるかもとおっしゃっていましたが、今後の「会田誠」はどういう方向にいくのでしょうか

描いている時はその作業がなかなか苦痛で、逃げたくて「これが最後だ」と思うんですよ。マラソン選手が「あの電信柱まで走るぞ」てなことで走るんですけど、電信柱すぎたらまた次の電信柱向かっちゃったりするように、多分言ってるだけなんですよ。 ただ細かい絵は本当に最後に近いかもしれません。最近は老眼が進んで細かい絵を描くのが肉体的に厳しくなってきたので、大きな筆でのびのび描くような絵が、これから老人の健康にはいいのかな、とは思いながら描いていました。


2021年、年明け――安寧を祈る

© 2020 Makoto Aida Courtesy of Kadokawa Culture Museum

会田誠「疫病退散アマビヱ之図」(2020年、宮島径撮影)
©AIDA Makoto Courtesy of Mizuma Art Gallery

2020年12月27日に、会田誠《疫病退散アマビヱ之図》の作品(原画)と巨大お札(バナー作品)の奉納・お祓式を、武蔵野坐令和神社の宮司によってとり行いました。 原画サイズのポスターも清祓いをし、巨大なお札の代わりにみなさまの災いを除くよう、御加護としてご自宅にお持ち帰りいただけるようにいたしました。当館エントランスホールの「ロックミュージアムショップ」にて販売いたしております。(3,000円/税別)

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