館長通信
写真:中道淳
No.762024/02/15
「鬱」なるものについて
最近は「うざい」とか「うざったい」という言葉が日常会話やSNSで頻繁に交わされるようになった。「うっとうしい」「わずらわしい」「めんどうくさい」という意味だろうが、その場の出来事や相手の素振りに向けられることが多い。
「うっとうしい」は漢字で綴れば「鬱陶しい」である。そこには「鬱なるもの」が出入りする。これは相手に感じるだけではなく、いつのまにか自分の中にもやってきて、ふと気がつくとその分量に驚くことがある。それで鬱勃(うつぼう)とする。
作家の北杜夫さんは壮年期になってからソーウツ (躁鬱病)に悩んでいた。お父さんが歌人の斎藤茂吉で、昭和を代表する精神科医であり、御自身も慶応医学部で精神医学を修めたのだが、いつしかソーウツの日々をおくることになった。「どくとるマンボウ」シリーズのようなユーモアに富んだ小説が得意だったのに、どうしてかなと思っていたが、そんなあるときお目にかかったら「松岡さん、ニンゲンみんなソーウツなんですよ」と笑っていた。
躁鬱病は通称で、医学上は双極I型とよばれる「心の病い」である。極端に陽気になる時期とひどく憂鬱になる時期とが交互にやってくる。いつ鬱になるか、本人はまったく予想がつかない。もっとも、医療診断的には「ニンゲン誰もが躁鬱病」とは定義していない。
しかし、私たちには「鬱なるもの」はずっと付きまとってきたともいえる。私が尊敬してきた中井久夫さんという精神医学者に『分裂病と人類』という名著があるのだが、そこには文明の勃興とともにソーウツが発生した経緯が説得力をもって述べられている。
実際にもヨーロッパでは、長らく「メランコリア」が話題になってきた。たとえば画家のデューラーには室内でメランコリアに耽る哲人を表現した有名な版画がある。デカルトは胆汁がメランコリアをつくりだす要因だろうと推測した。
メランコリア(メランコリー)は日本語では「憂鬱」にあたる。漱石は憂鬱こそ文学の重要なテーマであると考えていた。近代になって憂鬱が浮上したのではない。憂鬱は万葉時代には「いぶせ」とか「いぶせし」と言って、すでに「気が晴れない心地」をあらわした。『源氏物語』須磨にも「一、二日たまさか隔てつるをりだに、あやしういぶせき心地するものを」とあって、好きな人に数日会えないだけで憂鬱になって、あやしい気分になると描写されている。
哲学や文学や美術はずうっと憂鬱を見つめようとしてきたのである。たとえばサルトルは『嘔吐』で青年ロカンタンがマロニエの木の根っこに嘔吐感をおぼえた話を描いて、憂鬱は実存であるとまで断言した。またたとえば、おどけた顔で「芸術は爆発だ」と叫んでいた岡本太郎の若い時期の絵は、ほとんど「鬱なるもの」を具象化するものだった。
そういえば、あのちゃんというタレント歌手が小学生向けの番組で「吐く」ことを奨めていたが、これは”あのちゃん実存主義”だった。ちなみにサルトルの『嘔吐』は当初のタイトルが『メランコリア』だったのである。
いったい「鬱なるもの」とは何なのだろうか。「気がふさぐ」とは何がふさぐのだろうか。ルーツは深い。おそらく人類が直立二足歩行をして、言葉と道具を使い、集落に定住をしたとき、内なるものが鬱屈するような脳と心の傾向があらわれたのだろう。それが文明の加熱のなか解凍できにくくなり、社会の格差や優劣が目ざわりなものになって (つまりは「うざったい」がふえて)、いわゆるストレスやトラウマが「気」をふさぐようになったのだろう。
こうして世の中にさまざまな抗鬱剤が売り出され、精神科医にかかるソーウツ者が増大していったのである。脳内神経系のセロトニンやノルアドレナリンの量が気をふさいでいるのだという診断もふえてきた。しかし一方、憂鬱は文化でもあった。映画もテレビドラマもポップスも憂鬱を描いていた。
私はいっとき松本清張さんに頼まれて23回数分の昭和をめぐるドキュメンタリードラマのすべてを構成したことがあるのだが、清張さんは「昭和の憂鬱がドラマに滲み出るようにしてほしい」と言っていた。
実は「鬱なるもの」こそは私たちの存在証明の裏側を示すものであったのである。「鬱」は歴史の裏地でもあった。世界のミュージアムの半分は「鬱のミュージアム」なのかもしれない。
角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)