館長通信

写真:中道淳

No.752024/02/01

作品と作家の関係

私のような編集仕事をしていると、ときどき「アーティストや小説家って食えるんですか」ということを訊かれることがある。たいへんに答えづらい質問だ。またミュージアムって作品に対価を払っているんですかとも問われる。これも一概には答えにくい。

一般にミュージアムには出土品、史料、作品、機器、作家紹介などが並ぶ。作品には実物もあればレプリカもある。展示の意図をわかりやすくするためにはパネルや映像も加わる。これらはすべてが作品ではない。作家がいない史料も少なくないからだ。

一方、作家がつくった作品にもいろいろの種類がある。絵画や彫刻などの美術作品が一番よく知られているが、工芸品やタペストリーや版画やスケッチも作品だし、現代アートの作品としては箱やネオンサインや廃棄物なども展示される。現代アートを新たなパラダイムに導いたマルセル・デュシャンは男性便器やスコップにサインを入れたりちょっとした細工をほどこしたりして、これを展覧会に持ち込んだ。たいへんな議論が巻き起こったけれど、しばらくすると多くの現代アートがデュシャンの方法を踏襲するようになった。

いったい作品とは何だろうか。作品をつくるアーティストやクリエイターは作家と称ばれるけれど、では作家とは何なのだろうか。

作品のことを英語ではthe workという。制作物という意味だ。ラテン語やイタリア語ではoperaである。あのオペラのことだ。誰かが作り出したものなら、美術的なものであれ、音楽的なものであれ、工芸的なものであれ、作品なのである。それが美術作品のばあいは売買の対象になり、プライスがつき、コレクターやギャラリーが所蔵する。プライスは売買が継承されていくにつれ、高くなったり低くなったりして変化する。オークションではその値段が法外なものになることも少なくない。ミュージアムでは、こうした作品を所蔵するばあいもあるし、展示期間中だけお借りするばあいもある。このときは運搬費とともに保険料のようなものも発生する。

小説や詩歌やマンガなども作品である。こちらは版元と編集者が作家から原作を引き取って印刷物として発表する。印刷物だから、原作は一点ものだが、たくさんの読者の手にわたるときは複製されたものになる。音楽作品も音源は一点だが、レコードやCDとしてリリースされて、多くのリスナーの手元にわたっていく。

これらは「作品が最初からメディア化される」というしくみをもった。作家は印税や著作権料を手にした。文学で最初に印税システムを確立させたのは、『オリバー・ツィスト』や『二都物語』の作家チャールズ・ディケンズだった。以来、メディア掲載料が収入になった。それゆえ文学作品や音楽作品は、メディアが変われば収入の手立ても変化した。たとえば雑誌掲載の原稿料と、それらが単行本になったときの印税は別々なのだ。当然、ウェブでアカウントを稼げば、別のしくみが作動する。

ことほどさように、作品と作家といってもジャンルによってさまざまな媒介者(メディア性)が関与して、作品の価値を組み立て、作家の収入を支えてきたわけで、そのヴァリエーションはそうとうに多様なのである。ミュージアムはそのごくごく一端を担当するにすぎない。

しかし、21世紀になって時代環境は変化してきた。とくにインターネットやスマホやAIの普及は、作家と作品の発表場面や収入構造を激変させつつある。ギャラリーやミュージアムに代わってネットメディアがそれらの仕事を変質させるようになってきたのだ。ミュージアムも変質を試みざるをえなくなっている。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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