館長通信
写真:中道淳
No.732024/01/01
龍の年、聖の年
今年は辰年(たつどし)ですね。12年で一巡りする十二支の5番目にあたります。「辰」と綴るけれど、姿かたちは龍のこと。なんとか龍のごとく自在に天空を飛翔するような年になってほしいものですが、本来の龍は彼方の水源から立ち昇るものなので、どんな水源を重視するかが問われます。ひょっとすると今年の龍は日本海やオホーツク海にまつわるのかもしれません。
十二支は古代中国の方位にまつわる暦法に発したもので、ご存知、子(鼠)・丑〈牛)・寅(虎)・卯(兎)・辰(龍)・巳(蛇)・午(馬)・未(羊)・申(猿)・酉(鶏)・戌(犬)・亥(猪)というふうに続きます。どうしてこんな不思議な12匹の動物たちが選ばれたのか、なぜ龍だけが空想動物なのか、その謎を知りたいものですが、実は不明です。古代中国は意外なことに神話体系を統一しなかったのです。神々の体系よりも実在の天子のヒエラルキー(中華秩序)を重視したのです。そのため十二支も民間伝承や俗説がまじったまま定着していったんですね。そこで博学をもって鳴る南方熊楠(みなかたくまくす)が『十二支考』などを著していろいろな推理をしたのですが、いまだに定説はありません。
一方、十干(じっかん)で数えると、今年は甲(きのえ)にあたります。甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸が十干で、古代中国ではこの十干と十二支を組み合わせて60年で一巡する周期を想定し(これが還暦のおこり)、1年ごとの特徴を彩りました。年月の方位と巡行を10年(十干)と12年(十二支)の二つの周期が交じるしくみとして捉えたのです。ですから今年の干支(えと)は、正確には「甲辰」(きのえたつ)といいます。
十干十二支は、方位学や占術や風水術に結びつき、さまざまな占いの基点にもなりましたね。
太陽や月の運行にもとづく暦法は、西洋でも東洋でも「太陽暦✕太陰暦」として発祥しました。東西ともに月の満ち欠けを目安にする太陰暦が先行して、その後に夏至と冬至、春分と秋分を分岐点にして1年の太陽の運行を厳密化した太陽暦が一般化していきます。
古代ローマ帝国圏やキリスト教圏にユリウス暦やグレゴリウス暦が普及し、その後は天文学の発達にともなって、西洋社会では太陽暦が「西暦」として君臨しました。もっとも一週間を7日間というユニットにしたのは、旧約聖書に神が6日間で万物を創造し、翌日を休息日にしたと記されていたことを、古代バビロニアの7の月齢計算法(カレンダーの起源)にあてはめて組み立てたものでした。
これに対して東洋では長らく太陰暦(ムーン・カレンダー)あるいは太陽太陰併用暦がメインになってきたのですが、これは月の満ち欠けが畑作農事や生活習慣の目安になりやすかったからだと思われます。ちなみにイスラームのヒジュラ暦も太陰暦です。
ところで中世ヨーロッパではカレンダーに聖人たちを列挙することが流行しました。日本でも「聖」(ひじり)を「日知り」と理解して、敬ってきました。日々の記録をよくよく知っている長老が「聖」(日知り)なのです。最近の日本は少子化と高齢化の進行にいささか悩んでいるようですが、私はむしろ各地の「聖」(長老=日知り)のことをもっともっと知っていくことが大事なのではないかと思っています。
角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)