館長通信
写真:中道淳
No.722023/12/15
デーモンとゴーストの魅力
日本のマンガやアニメにはデーモンとゴーストがのべつ登場する。手塚治虫以来のことだ。宮崎駿や押井守はデーモンとゴーストの魅力をうんと身近にしてみせた。
もともとデーモンもゴーストも魔物や怪物のたぐいだった。デーモンは悪王や対立者として扱われ、ゴーストは幽霊や遊離者として扱われていた。神や人心や日々の安寧を脅かすもの、それがデーモンであり、ゴーストだった。そのルーツは神話や伝説や昔話に跋扈していたものたちで、ギリシア神話にはキマイラも怪力巨人も一つ目も植物人間も登場する。
それがやがて、続きものの『西遊記』や『千夜一夜物語』などで、さまざまな超越的個性と怪奇的な形容をもつようになった。変身するようになったのだ。
こうした魔物や怪物が19世紀末あたりからSF文学やファンタジー文学に採りこまれ、さらにパルプマガジンの連載ものの中でスター性を発揮するようになると、しだいにマンガやアニメの重要なアノマニー・キャラクター(異質な存在)として君臨しはじめて、スーパーマンやバットマンがそうであったように、超能力やサイボーグ性と結びつき、現実社会と幻想世界の区別を取っ払う異様な活躍をしていくことになったのである。かれらは過去と未来、リアルとヴァーチャル、生と死などの壁をやすやすと超えていった。
日本では最初のうちは鉄腕アトム、鉄人28号、サイボーグ009、マジンガーZなどに人気が集まった。石ノ森章太郎はサイボーグ009のイメージをブラックゴーストからヒントを得たと言っている。永井豪はマジンガーZを乗組員もろともにロボット化させた。
今日のマンガやアニメの中のデーモンとゴーストは、たんなる空想キャラではなくなったのだ。デーモンは社会的矛盾や葛藤の象徴であって、かつ裁断者となってきたようだし、ゴーストはわれわれの中に隠れていた気質が沈殿されたものや誇張されたもののように進化した。デーモンもゴーストも「多様な心」をもつようになったのである。
いまやわれわれはスマホの中で、自分の分身を好きにID 化させたりアバター化させたりできる。仮想自己が自分なのである。顔や声を繕うこともできる。こうなると、そこにデーモンやゴーストが寄り添ってくる可能性も危険性もある。われわれは自分の中に内なるデーモンやゴーストを見出さざるをえなくなっているのだ。
しかし私はこういう時世には、むしろこれまでの歴史の中のデーモンとゴーストの変容をもっと理解していくのがいいのではないかと思っている。とくに戦後日本の変容だ。たとえばゴジラの変容、たとえば鉄腕アトムの変容、たとえば宮崎アニメの変容だ。今日の日本社会の体たらくが日本独自のデーモンとゴーストの変遷史によって暴けるかもしれない。
角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)