館長通信
写真:中道淳
No.692023/11/01
民族と宗教と国家
ロシアとウクライナとクリミアとドンバス。イスラエルとパレスチナとガザ地区。ユダヤ人、スラブ民族、アラブ民族。ユダヤ教文化圏、キリスト教文化圏、ロシア正教文化圏、イスラム文化圏。自由主義と帝国主義と民族主義と資本主義。豊かな資源国と偏った資源国と貧しい資源国。
世界にはさまざまな民族や宗教が混在し、そのルーツを守りながらいまなお争っている。僅かな面積にすぎないエルサレムをユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒(ムスリム)が互いに聖地とみなしているのはその一例だ。
ずうっと、そうなのである。戦火が飛び交うのはその隣接地域に何らかの「破れ目」ないしは「勝ち目・負い目」が生じたときで、そうではないときも世界はつねにまだらで、迷路状態で、一触即発なのである。NATOもEUもG7もG20も、一度たりとも結束されてはこなかった。
残念ながら、その奇妙なまだら状態はミュージアムのようには整理はされていない。展示用の説明文(キャプション)も付いていない。整理されていないどころか、その奥では必ずや交易と兵器が待ち構えてきた。しかもウクライナ戦争がそうなっているように、当事者国に兵器を貸与する国々もある。
局所の出来事はその局所だけにおこったことではなく、たいていは世界の「思惑の関与」が絡まってきた。最強の“民主的検察機関“を自認するアメリカと、“一帯一路“によってユーラシアをつなげたい中国が対立するのも当然だ。
これでは戦争はなくなりっこないし、差別も「いじめ」もなくならない。子供たちに「いじめ」をやめましょうと言い聞かせても、むりである。では、どうしたらいいのか。
民族や宗教がかかえる意味を理解するための努力をネグレクトしてしまったのが問題だった。たとえば日本では「政教分離」といって、政治と宗教を同居させないことを厳しく法制化しているのだが、これは世界の民族と宗教と国家が一触即発のまだら状態であることにいささか背を向けたままだと言われても仕方がない。
少なくとも、民族と宗教と国家の歴史と現状をもっと詳しく学ぶ必要があるだろう。しかしそんなことは、学校ではめったに教えない。神社やお寺をどう参ればいいのかも教えない。
日本ではクリスマスにケーキを買って、大晦日にお寺で除夜の鐘を突いて、お正月には神社で初詣をする習慣がある。初詣には8000万人が行っているという統計もある。結婚式は神社で挙げて、お葬式はお寺でしてもらうという風習もある。そうであるにもかかわらず、一方では日本人は自分たちが神を信仰しているのか仏教を信仰しているのかアンケートをとると、多くが「無信仰である」と回答する。
私たちはいつのまにか何かをネグレクトしてしまったのである。信仰や宗旨をもつべきだというのではない。そうではなくて、日本にもエルサレムほどではないにしても多神多仏の風土が随所にちらばってきたこと、神輿(みこし)巡行や雛祭りや修験道などのさまざまな民間信仰が継続してきたこと、日本料理や生花や茶の湯に宗教文化が投影してきたこと、こうしたことにもう少し親しんでおくべきなのである。
できれば以上のことを念頭にウクライナやパレスチナのニュースや住民たちの言動を見聞されたい。そこには“生きたミュージアム”が息詰まる緊張をもって発露する。
角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)