館長通信
写真:中道淳
No.642023/08/15
ミイラにダンスを踊らせて
私が旅行先で必ずしてきたことがある。日本ではその土地の本屋と風呂屋と郷土資料館に立ち寄ること、海外ではご当地列車に乗ることと、ミュージアムを必ず訪れるということだ。このうち風呂屋がなくなってきて、とても寂しい思いでいる。
各地に行って驚かされるのは、どんなところにもおいしい洒落たレストランがあることと、ミュージアムやギャラリーがふえていることだ。いずれも大小は関係がない。
世界にも日本にも、ミュージアムはそうとうある。実にさまざまなミュージアムが開設されていて、目と知と好奇心を煽られる。黙りこくったような小さなミュージアムが痛烈なメッセージを突き刺してくることもあるし、その街の昔日の偉人の埃をかぶったカバンやメガネなどの遺品にしばし佇むこともある。ついついミュージアム・グッズを買って帰ることも少なくない。
一方、巨大ミュージアムにはまるで「文明」が集約されているようで、その威容に圧倒される。大英博物館、ルーブル美術館、エルミタージュ博物館、メトロポリタン美術館、故宮博物館、プラド美術館などは、ひょっとすると「歴史」よりも大きいんじゃないかという印象を与える。私はワシントンのスミソニアン・ミュージアムを見るのに一週間かかった。
巨大ミュージアムの陣容や構成はすさまじい。創建からの変遷にもさまざまな激動があり、コレクション(館蔵品)が整い、名作や逸品が館内の晴れの舞台に並ぶまでには、たいてい想像を絶する苦労がくりかえされてきた。
トマス・ホーヴィングはメット(メトロポリタン・ミュージアム)の館長を1967年から10年務めた名物館長である。ぼろぼろだったメットを、今日のように威風堂々の殿堂にしてみせたのはホーヴィングだった。いくつもの著書をのこしているが、主著の『ミイラにダンスを踊らせて』(白水社)が圧倒的におもしろい。
冒頭、メットは「ヴァチカンとベルサイユとスルタンの宮廷とアリババの洞窟を一緒にしたようなところなのだ」とあって、ミュージアムが名誉と権謀術数、お世辞とごますり、ホンモノとニセモノの根くらべ、政治と文化、栄光と危険で渦巻くところだということが告白されている。
風変わりなタイトルは、ミュージアムには太古のミイラのような代物が次々に届くのだが、そのミイラにみごとなダンスを踊らせるようにするのがミュージアムに携わる者の仕事なんだという意味である。美術品をミイラ呼ばわりするのはどうかと思うかもしれないが、この言い方にホーヴィングの本気と自慢があらわれている。
読んでいくと、おびただしい実名が登場して、赤裸々な事態が内外を問わず次々に忌憚なく展開するので、インサイド・ストーリーとしても興味津々になる。メットはここまで世界と対峙しようとしたのかと、その気概と蛮勇にも驚かされる。とくに「ハーレム展」に踏み切った顛末と「ツタンカーメン」を入手した顛末は、読ませた。
世の中のミュージアムがメットのような激越なドラマをかかえているということではない。むしろ多くのミュージアムはうんと静謐で、小さな一喜一憂と向かいあい、半年先や一年先の展示企画の準備にあけくれているはずだ。
ホーヴィングも本音をこう書いている。「私がメットでめざしていたのは、メットを文化的楽園にすること、ミュージアムを楽しい出来事やお祭りでいっぱいにすること、刺激と話題性に満ちた、そしてあくまでわかりやすい視覚芸術の図書館にすること、学習の場として最高の環境を提供することだった」。
角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)