館長通信
写真:中道淳
No.622023/07/15
驚異の古代エジプト展
1階グランドギャラリーで体感型古代エジプト展「ツタンカーメンの青春」が始まった。少し暗いピラミッド内部のような会場にキラキラと輝く黄金の造形が次々に現れてきて、目を奪う。高精細の3Dスキャンによる映像も、私が大好きな川井憲次さんの音楽も、めっぽう美しい。
実は出展品のすべてが精巧なレプリカなのだが、それがかえって往時の古代エジプトの「栄華と残照」をみごとに再現していて、昂奮させられるのだ(私は昂奮した)。
文明や文化というもの、そもそも記録と記憶の「継承と再生」によってレガシーが伝わっていく。写真や書物やミュージアムやテレビ番組やデジタルアーカイブは、この継承と再生にさらに独自の工夫を加え、新たな感動と官能をもたらしてきた。
なんだか内輪ぼめのようで恐縮だが、本展の展示構成も、このレガシーの新たな感動と官能をもたらすものとして、たいへんよくできている。若い頃から、ピラミッドの謎に挑んできた21世紀日本のインディ・ジョーンズ” ともいうべき河江肖剰さんの研究成果とシナリオ構想にもとづき、当館の宮下俊が総合ディレクターとなって組み立てた。空間設計は映画美術で評判が高い上條安里さんにお願いした。
展示はツタンカーメンの王墓を発見したハワード・カーターの在りし日の探索とともに始まり、父のアクエンアテン(第18王朝アメンテホフ4世)と子のツタンカーメン(トゥトアンクアメン)の登場でクライマックスに達し、多くの形象をあらわす神々と不思議なヒエログリフ(神聖文字)の乱舞に向かっていく。
3000年にわたる古代エジプト史は、もともと多神教で始まり、アクエンアテンのところでいったん一神教になり、その後ふたたび多神教に転じていくという劇的な旋回によって後半期になっていくのだが、その劇的な転回期に少年王ツタンカーメンが君臨したのだった。本展が「ツタンカーメンの青春」と銘打たれているのは、わずか19歳でこの世を去った少年王の黄金の中の「青い春」を惜しんでのことである。
この父と子の物語は、古代エジプトの謎を物語っているだけでなく、その後の全ヨーロッパ史がなぜ一神教的なユダヤ=キリスト教によって覆われていったのかということも、象徴的に暗示していた。「ツタンカーメンの青春」とはヨーロッパの青春の予告でもあったのである。
ところで私は若い頃にヒエログリフに関心をもち、その後のどんな世界文字よりも独創的で視覚認知力に富んだシステムを発明した古代エジプト社会が、いったいどのような「知のしくみ」をもっていたのか、しばらく没頭したものだった。
没頭したわりには謎解きには至らなかったのだが、最近になってあることに気が付いた。
かれらはおそらく情報の入力よりも「出力する情報システム」に強い関心をもったのだろうということだ。これはポピュレーション・コーディング(集合的な符号化) よりも「スパース・コーディング」(必要なものだけをまばらに符号化して、あとから整合性をつけるという方法)を重視しただろうことを予測させるのである。
ビッグデータと生成AIに期待を向けた今日の社会とはちがって、古代エジプトでは「必要なものを必要な分だけ組み合わせる文化」のおもしろさに着目していたのであった。いま、あらためてその編集力に感嘆している。
角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)