館長通信
写真:中道淳
No.612023/07/01
IDに紐づく情報の問題
健康保険証や運転免許証とマイナンバーカードが一緒になるかもしれない。それも一斉に、かつ急激にそうしたいらしい。慌ただしい政府要請だった。何を急ぎたいのかと思っていたら、IDをめぐる発行ミスが次々におこってしまった。各方面から「ちょっと待った」の声が上がっている。
IDとはアイデンティフィケーション(identification) の略号で、もともとは自己同一性を確認するときに使われる用語だった。識別する、鑑別する、特定するという意味をもつ。
それが電子社会では、人物の特定のために用いられる識別番号や登録番号のこと、および身分や身元を示す説明文やカードのことを示すようになり、やがて身分証明書と同義に使われるようになった。ITネットワーク分野では、システムやサービスの利用者や登録者を識別するためのユーザー名やアカウント名がIDだ。コンピュータ用語では識別子のことをIDという。
IDの歴史はいまに始まったわけではない。歴史上のどんな社会も、なんらかのIDを必要としてきた。個人の識別のためだけではなく、家や職業や軍籍にもIDがあった。最もわかりやすいのは古代社会以来の戸籍だが、そのほか騎上や武士の家系図や通行手形もIDだし、その後の組合員登録、電話番号・郵便番号も、ゴルフ会員証もパスポートもクレジットカードそのものもIDである。ライセンスをあらわすものもIDの一種だった。
しかし、従来のIDはそれぞれ別々のものだった。健康保険証にはパスポート番号は記名されていないし、パスポートにはクレジットカードの番号は記されない。そこには「個人情報の秘密保持」や「個人を特定情報で差別をしない」という配慮もあった。それに、どんなIDも、そこに記載されている情報が正確かどうかを確認することが難しかったのである。
大半の情報がデジタル化されることになり、事態が一変してきた、IDには、どんな情報も紐づくことが可能になった。たとえば医療情報だ。いまは健康保険証には、患者の医療情報は紐づけられていないけれど、受診した病院のカルテの情報ネットワーク・システムには、当然、受診者の医療情報が入っている。
マイナンバーカードは国民を識別するIDである。私は「マイナンバー」なんて、なんたるネーミングを付けたものかと呆れているが、そのセンスの悪さは別として、国民に背番号を付けること自体は文明社会ができたときから試みられてきたことなので、そのこと自体に驚く必要はない。
問題は、これまでは個人や家族に関する特定の情報の一部の束がいくつものIDに分かれてきたのが、マイナンバーカードという親玉IDには、その主要な情報が、臆面もなく従属できるようになったのではないかという危惧が、どうにも拭えなくなってきたということにある。まして幼児にもマイナンバーカードが必要だとなると、問題はかなり複雑だ。
かつてエリク・エリクソンというアメリカの心理学者が「アイデンティティ・クライシス」という言葉を人間の精神の危機状況に使ったとき、児童や青少年や大人が自分の位置や役割が確認しにくくなったことにどう手をさしのべるかという対策を考慮していた。いま、アイデンティティ・クライシスはアイデンティティの問題ではなく、IDに紐づく情報過多によって忍び寄っているようだ。焦らずに組み立ててみたほうがいい。
角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)