館長通信

写真:中道淳

No.602023/06/15

民族言語を絶滅危惧種にしてはいけません

いま、地球上では5100語ほどの言語が語られている。500年前にはこの倍の言語が語られていた。半分以上が絶滅してしまったのだ。しかも、半分になった言語のうち20パーセントが、いままた瀕死の状態にある。

なぜ言語(語り言葉)は消えていくのだろうか。語り手がいなくなるからだ。駆逐されるのか自滅するのかといえば、事情は複雑で、その国の政体や教育方針によって主要言語以外の言葉が使いにくくなっていくと、差別されることを恐れてその言語を語る者が自粛せざるをえなくなるケースも、少なくない。

かつて差別の激しかったケニアの作家ングギ・ワ・ティオンゴは自分が育ったキクユ語で果敢に作品を発表していたのだが、そのせいで投獄された。アフリカやアジアや中国各地では、少数民族の言語がこうして刈り取られてしまうのである。服装なら変えられるし、髭ならばまた自然にはえてくるが、言語ははえてこない。体の内側から出てきた外分泌物なのだ。

60年前、言語学者たちが愕然とした。世界中の70パーセントの郵便物と、ラジオ・テレビの放送言語の60パーセントが英語になったのである。20年前、もっと愕然とせざるをえない事情が判明した。ネット上の交信言語の86パーセントが英語化されていた。誰のせいでもないかもしれないが、英語は「殺し屋」の役目を担ったのだ。

とくにアフリカの惨状は目を覆う。すでに60~70語が絶滅し、さらに120言語以上が絶滅危惧状態なのである。

それなら、こうした言語は消滅するのもやむをえないほど特徴が薄いのかというと、そうではない。たとえば3個の母音と81個の子音とでできているウピフ語、5個の母音と6個の子音しかもたないパプアニューギニアのロトカス語は、言語学的にもたいへんユニークな特徴をもっている。「譲れるもの」と「譲れないもの」で名詞を分けたり、風の通り方のちがいで植物の名前を決めたりしているのだ。

いま世界中ではびこっているのは「プラスチック・ワード」だ。成型言語とでも訳せるが、早い話がペットボトルのような言葉で、中身の意味があいまいであろうと、他のボトルとのちがいがはっきりしなかろうと、百均の商品のようにやたらに流通する。そのため、しばしば「バズワード」とも言われてきた。

「かっわいい~、エコだよね、それってあるある、ヤバい」などは会話自体がテキトーだからいいようなものの、「ニーズを選択して、ダイバシティがない、スマートシティにしたい」などとなると、それで仕事や予算が動くことにもなりかねないのでバカにできない。ついつい役所でも会社でも使う。

それ以上に問題なのは、これらハンコやスタンプのようなプラスチック・ワードやバズワードの多用が、言葉が本来もちあわせている多義性や連想性を奪うということである。

どんな言語もたくさんの言葉とそのつながりでできているのだが、つながりが可能になるのは、言葉そのものにもともとジェノタイプ(遺伝型)とフェノタイプ(表現型)があり、そのはたらきにデノテーション(外示作用)とコノテーション(内示作用)があるからなのである。歴史と風土とともに育まれた言語が絶滅の対象にならないためにも、安易なプラスチック・ワードやバズワードで対話や会話がその場かぎりのスタンプラリーにならないためにも、少しでも「めんどうくさい言葉」の使い方に習熟しておくことを、いまさらながらお奨めしておきたい。周辺のスタッフの生成AIにも、私は「めんどうくさい言葉」を入れておけよと言っている。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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