館長通信

写真:中道淳

No.572023/05/01

昆虫・密教・タンパク質

小学校5年生の夏休みの宿題にセミの一生を模造紙2枚に絵解きした。セミの地虫が地上から這い出て木に登り、背中を割ってキラキラとした透明な羽を繰り出すまでを観察し、それをコマ絵にしながら余白にセミの短い日々を構成したものだった。

中学校では科学部に入り、雨の降り方やカビの生え方などのいろいろな出来事を観察したり実験しながら模造紙にまとめ、発表した。ぺらぺらの模造紙が「ぼくのミュージアム」だったのだ。

以来、模造紙がノートになり冊子になり、展示会になりパソコンになりというふうに変化はしてきたものの、「ぼくのミュージアム」づくりは中断されることはなかった。

そんな日々をおくってきたことをあらためてふりかえってみると、「ああ、このセカイこそ極上のミュージアムになるべきだな」と思えたものが、さまざまあった。なかで昆虫のセカイはまさにミュージアム的である。セミだけではなく、アリもバッタもトンボも、昆虫という昆虫の生態そのものがミュージアム的なのだ。「変態」(メタモルフォーゼ)を内包しているからだ。

文化現象では、神話や伝説がどこの民族やどこの土地柄のものでも、すこぶるミュージアム性に富んでいる。神話や伝説は人々の空想力や想像力が形をもつからだ。とくに密教がおもしろい。

20代の半ば、私は自分のノートを数冊潰して、密教を素材にした世界観を再構成する試みに耽ったものだ。空海が中国から招来した両界マンダラの構想がとりわけ刺激的だったのである。セカイの見方を金剛界と胎蔵界という二つのマンダラで呼応させていくという方法は、たいそうダイナミックな認識構造のミュージアム化を可能にしてくれた。空海もそのような両界マンダラの立体化に関心をもったようで、東寺(教王護国寺)の講堂をはじめ、仏像の大胆な配置にあれこれの工夫をしていた。

30代になって私が夢中になったのはタンパク質だった。タンパク質はわれわれが「生きている」という状態のための根源的なしくみをつくっている驚くべきもので、僅か20種類のアミノ酸の組み合わせから生成される。どういう組み合わせの手順で生成されるのかは、その設計の指示書を秘める遺伝子(DNA)が握っている。

タンパク質は実に多くの機能を発揮する。酵素になる、抗体になる、輸送力を担う、構造や形態をつくる。いろいろだ。生命の肝心カナメのはたらきの多くはタンパク質のはたらきの応用なのである。

なかでも特筆すべきなのが「情報を翻訳したり転写できるようにする」ということだ。タンパク質は「生命の文法」を代用できるのである。

私はこのようなタンパク質のありとあらゆる可能性をミュージアムにしたいと思っていた。いや、タンパク質こそが世の中のミュージアムのプロトタイプだと確信していたのである。ただ、この思いは実現できていない。誰かに託して、この思いを実行に移してもらいたい。いつかどこかに「プロテイン・ミュージアム」が出現することを期待して。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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