館長通信

写真:中道淳

No.542023/03/15

恋心と好奇心に始まる

私の研究テーマは「編集工学」というもので、これは情報をどのように集めてどんなふうに編集するかという作業をともなう。「編集する」というのは、既存の情報を少しでも新たな見え方に転じていくことをいう。だからたくさんのフォーマットや表現方法に詳しくなる。

では私の専門は何かというと、大学ではフランス文学を専攻したが、文学が専門なのではない。歴史学でも言語学でもコンピュータ・サイエンスでもない。ずばりいうと私の専門は「好奇心」なのだ。

好奇心は幼児が何かに関心をもつことに始まり、われわれの活動の多くのきっかけを形成する。好奇心は学問や仕事や旅や趣味に向かうときのエンジンになるもので、編集工学ではこの好奇心そのものの内実にできるだけ迫ることが目指される。

好奇心にはたいていネオフィリア(新奇嗜好癖)とネオフォビア(新奇恐怖癖)が伴う。子猫がそうであるように、新しいものを見るとやたらにいじりたくなる場合と(すぐに前脚でチョイチョイとつつく)、ついつい警戒したくなる場合(急に後ろ跳びしてあとずさる)があるように、好奇心にも積極と消極がおこるのだ。

われわれにも似たことがおこる。なんとなく好きになれそうなものと、どうも苦手だと感じるものが、すぐに感じられてしまうのである。その理由は動物学や生理学や心理学でもまだわかっていないのだが、誰にでもおこっていることなので、好奇心がそうとうに意識のカーソルの芽生えとともに作動してきたのであろうということは、はっきりしている。

私もそうだったけれど、保育園や幼稚園に行くと好きな子ができる。私はヨコシマタカコちゃんが好きになった。ほとんど話せなかった。また親戚のおじさんやおばさんには必ず苦手なオトナがいたものだ。これも理由はわからないけれど、すぐ決まる。むろん好きなジャケットやスカートの形や色もすぐ決まる。なぜ、こんなことがすぐに決まるのだろうか。

これは好奇心というよりも、恋心とは何かという問題だ。恋心が好奇心よりも深い意識の現象なのかどうかは定かではないが、おそらくモノに対する関心が好奇心になり、ヒトに対する関心が恋心になるのだろう。

この恋心がまた、なんとも淡く、なんとも落ち着かず、なんとも羞かしく、とてもときめくものなのである。とくに「恋しい」と思う気持ちをどうしたらいいのか、わからなくなってしまう。

残念ながら、編集工学では「恋心」を編集できてはいない。そんなたいそうなことなんて、できない。だからむしろ編集しないようにしてきたと言ったほうがいい。好きになった気持ちを無条件に認めること、そのうえで恋心のそばにあるモノやコトに編集的努力をしてみること、それでなんとか失恋しないようにすること、そうするしかないと思ってきたのだ。

恋心と好奇心は、どんなときにもわれわれを無我夢中にさせ、勇気をもたらし、たくさんの物語の主人公になることを促進してくれる。仮に挫折があったとしても、「恋しいもの」をもたなくなったら、そのほうがずっと寂しいことなのである。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

Pagetop