館長通信

写真:中道淳

No.532023/03/01

「さえずり」と「毛づくろい」

日本でもずいぶんラップが広まってきた。ラップはメロディをあまり気にせず、口語のように歌ってライム(韻)や似た言葉を交わしあう。ラップを聴いていると、さまざまなことが浮かんでくる。

赤ちゃんは生後5~6カ月頃に、泣き声とは少し異なる「あー」「うー」というクーイングをする。すべて母音だ。ついで「うゃーん」「ばばば」「ちゅぐちゅ」といった言葉にならない発声をする。喃語(なんご)という。

8カ月をすぎると「ばぶばぶ」「わんわん」などと変化する。喉や舌の動きが変化するためだ。子音がまじっていく。それが1歳前後になると、言葉を発するようになる。いったい何が言葉を用意してきたのだろうか。

鳥には「さえずり」がある。これは地鳴きとは違って、オスの縄張りの主張やメスを引き付けるためのもので、幼児の話し言葉の発声とくらべられるときがある。喃語は「さえずり」にあたっていたのではないかというのだ。

類人猿を調査研究してきた人類学者のロビン・ダンバーに『ことばの起源』という興味深い本があった。「猿の毛づくろい、人のゴシップ」というサブタイトルがついている。サルやゴリラやチンパンジーは仲間どうしの親密を維持するために「毛づくろい」(グルーミング)をするのだが、ヒトの場合は集団が大きくなったため、いちいち毛づくろいをしていられなくなった。代わりに発達したのが言葉ではなかったかという仮説が紹介されている本だ。

鳥の「さえずり」や猿の「毛づくろい」が、人においては言葉になったという推理は大胆すぎるような気もするが、あながちまちがっているとは言い切れないものがある。

理化学研究所の岡ノ谷一夫のグループは、ジュウシマツの歌、ハダカデバネズミの挨拶、テナガザルの泣き声と幼児の喋り言葉をそれぞれ克明に比較して、小学生たちのために絵がいっぱいのっている『言葉はなぜ生まれたのか』を書き、動物と人は歌でつながっていることをわかりやすく説いた。

もっと大掛かりな仮説を発表したのは認知考古学者のスティーヴン・ミズンだ。ミズンは20万年前のネアンデルタール人がハミングのような歌をうたっていたとみなし、人間の言語は歌のようなプロト言語から発達してきたという仮説を組み上げた。名著『歌うネアンデルタール』や『心の先史時代』に詳しい。またごく最近になって、カリフォルニア工科大学のマーク・チャンギージーは『〈脳と文明〉の暗号』で、実は音楽と言語は同じ組み合わせから派生したものだという仮説をまとめて、話題をまいた。

原始にも歌があったと考えるのは、たいへん楽しい。きっとネアンデルタール人も初期ホモサピエンスもラッパーのようだったのである。だとすると、いずれはラップの強い集団から新しい言語が生まれてくるかもしれないとも思われてくる。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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