館長通信
写真:中道淳
No.522023/02/15
アートとコレクション
何であれ気にいったものを集めるのがコレクションであるが、気にいったものは人によってかなり異なる。切手や昆虫や文房具を集めるのも、骨董品や美術品を集めるのも、新聞の切り抜きやガラクタを集めるのもコレクションだ。収集とも蒐集とも聚集とも綴る。ファッション業界では新作発表をコレクションと言う。
私は少年時代にはメンコを集めたり化石や鉱物のカケラを集め、青年期からは本を集めるようになった。集めるのはとてもウキウキすることで、ついつい夢中になる。元気も出る。けれどもだんだん手元にコレクションがたまってくると、さてそれをどう収納しておけばいいのか、あとから必要な収集物をパッと取り出せるようにするにはどうしたらいいのか、悩ませられる。
コレクションの歴史は古く、とくにヘレニズム時代にアレクサンドリアなどで神殿ふうのミュージアムができたとき、多くの写本を収集展示したのがひとつのルーツになって、それが中世から近世にかけて「ヴィルトオーソ」(virtuoso)が集めたものが知られるようになると、その収集品を特別の部屋に飾り立てて、時の好事家たちにお披露目するようになった。ヴィルトオーソとは博識者とか熟達者という意味だ。ヴィルトオーソがつくった部屋は特別に「ヴンダーカマー」(クンストカマー:驚異の部屋)と呼ばれた。近世博物館のハシリである。
日本でも室町時代に足利将軍家によるコレクションが充実して、とくに唐物(からもの)と呼ばれた中国の水墨画や陶芸品の収集が特異な位置を占めた。唐物が流入すれば、国内のアーティストも大いに影響をうけて陸続と誕生したし、それらの優劣を目利きする同朋衆(どうぼうしゅう)も出現した。コレクションはアート活動を刺激するのである。
近代ヨーロッパでは「サロン」文化が広がり、美術品を所狭しと掲げてその鑑賞と評価を交わすようになり、ここからギャラリーや美術館が自立していった。それとともにオークションが伴って、個々の収蔵品に値段がついていく。それが変動もする。芸術と経済が重なってきたのだ。このことについては、私はターナーの絵をめぐってジョン・ラスキンが独創的に「芸術経済学」を議論したことが大きかったと思っている。こうしてしだいに新たなアート・コレクター像が形成されるようになってきたわけである。
アート・コレクションは資産家じゃないとできないだろうと思われるかもしれないが、そうとはかぎらない。懐具合に応じて好きな作品や気になる作家を少しずつ入手すればいい。手立ては、いろいろありうる。私の友人には版画作品から入った者、スペインの画家アントニ・クラーベだけを蒐める者、学生の卒業展で目を付ける者、画家と文人の筆跡を蒐集する者など、それなりの工夫をしているコレクターがいくらだっている。
私は或る公共美術館の開館に当たって、世界の「天使」と「天女」に関する作品を館蔵品にするための仕事をしたことがあるが、美術品の買い付けなど初めてだったけれど、たいへんおもしろかった。
では、どのように作品を選べばいいのか。もし資金が潤沢でないのなら、次の4つの心構えで選ぶといいのかもしれない。「ピンとくるもの」「ジワジワ染みてくるもの」「虚をつかれるもの」「作家の個性を知りたくなるもの」という視点で選ぶのだ。
この春から角川武蔵野ミュージアムでは、現代アートを積み上げてきた「田口コレクション」(タグコレ)の展示を始める。田口弘さんと娘の田口美和さんによる現代アートのコレクションだ。コレクターになったつもりになって、4つの視点で眺めてもらうのも一興だろう。
角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)