館長通信

写真:中道淳

No.512023/02/01

有事と平時

最近の報道では、いつなんどき台湾有事や朝鮮半島有事や南シナ海有事がおこってもおかしくないと伝えている。おこれば、たちまち日本有事が降りかかる。有事は突発的におこるようでいて、ロシアのウクライナ侵攻がそうであったように、たいていはさまざまな予兆の組み合わせが複合的なトリガーに依っている。

有事は軍事的な危機だけにおこるのでもない。自然災害、経済危機、人為的大事故、社会変動、テロの決行、感染症の拡大、技術トラブル、ネットワーク障害、環境汚染なども有事である。

こうした有事を想定して、ふだんからの危機管理が重視されてきた。法制度も整えておく必要があるし、技術対策を練っておくべきだし、専門部門も用意しておかなければならない。予算(準備資金)も大きい。ハザードマップなどもつねに更新しておく必要がある。

危機管理はリスクマネジメントとも呼ばれる。リスクマネジメントは過去の有事の経験にもとづいて、平時のときから組み立てられていくのだが、リスクの度合いに応じて対策を組み込んでおく必要がある。川の氾濫は有事だが、どの地域のどの程度の氾濫かによって、対策が異なる。

危機管理対策はリスクヘッジとも言われる。金融業界はリスクヘッジをどうしておくかということで大半のシナリオが成り立ってきたほどだ。「ハイリスク・ハイリターン」などと言って、大きなリスクにうまく対応できれば、利益が大きいという考え方も、リスクヘッジの組み立てから語られてきた。価格変動リスク、デフォルトリスク、流動性リスク、インフレリスクなどがある。

危機やリスクがおこるのは、どんな状況もどんなシステムも、そもそも不確実性やノイズを含んでいて、それなのに不安定なまま突っ走る傾向をもっているからである。私たちの体だって同様で、突っ走っていれば、疲労もたまるしストレスもたまる。どこかに過剰がおこり、何かが不足する。そうするとリスクの度合いが上がっていく。

リスクマネジメントやリスクヘッジは、スポーツや武道にもあてはまる。スポーツは平時の愉しみに見えるけれど、あえて小さな有事を連発させながら競技をしているようなもので、その危険をルールやレフェリングで抑えて、多くの競技をおもしろくさせてきた。しかし、そのルーツは古代ギリシアの戦時下のマラソンや古代ローマの命がけの闘技場にあったのである。つまりは有事から派生したものだった。

私は十年に一度は宮本武蔵の『五輪書』を読んできた。いつも、これはリスクマネジメントの本だなと思いながら、読む。武蔵は有事と平時を区別していない。平時の中に有事を見いだすことをもって、武道や兵法が徹底して鍛練されると見ていた。

そこで重視されるのが「瀬戸」や「瀬戸際」である。武芸はつねに瀬をわたることによって成立するのだが、武蔵はその「瀬」を平時において見抜くことを心掛けた。相手の仕草から危険がやってくるだけではない。相手との距離、互いがもつ拍子のちがい、周囲の環境条件、平常心の喪失などもリスクになってくる。

私たちはついつい安全と安心をほしがるが、リスクを看過した安全も安心はない。平時にこそ有事を読んでいくべきなのである。かつて社会思想家のポール・ヴィリリオは資本主義にひそむ有事を「もうひとつの戦争の危険性速度と政治」と捉えて『速度と政治』を著した。そのヴィリリオは、これからのミュージアムは「事故の博物学」にとりくむのがいいと提案したものだった。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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