館長通信

写真:中道淳

No.482022/12/15

タンタロスの神話

英語で「じらす」は“tantalize”という。ギリシア神話のタンタロスの物語から転じた動詞で、「欲しいものを見せびらかせてじらす」という意味だ。ここから「じれったい状態」のことを、英語やフランス語でタンタライズな日々とかタンタロスの報いと言うようになった。

タンタロスはゼウスの娘プルートーの息子で、不死の体をもっていると目され、子供のころから神々に愛されていた。そのためしだいに増長して、オリンポスの饗宴から神の食物や神酒を盗んだり、神々を試すようなことをしでかすようになった。

タンタロスとしては神々による能力の独占を少し緩和して、人間界にその効力を分けたいと思ったようだが、神々のほうは怒った。タンタロスは沼の中の一本の果樹の分かれた枝に吊るされ、水を飲もうにも口は届かず、果物を取ろうにも手が届かない。不死でありながら苦しむことになったのである。

タンタロスがどんな裁きを与えられたのか、古来、さまざまに議論されてきた。神々の権限に手を出したからだという説、本人の意図が理解されにくいものだったからという説、オリンポスの神の一部がタンタロスを貶めたかったからだという説、いろいろである。

しかし総じては、この物語は世の因果応報には必ずや「じれったい」が派生するということを告げている。

ところで、すでに報道されていることで驚いた方も多いだろうが、東京オリンピック関連でKADOKAWAグループの角川歴彦会長が拘置されている。拘置後に会長職を降りた。いったい何がおこっていたのか知る由もなく、私たちはただただ挙手傍観して捜査の推移を見守るしかないのだが、何かがじれったい。なんとも困ったことであり、気の毒でもあり、いろいろ感じることも少なくないのだが、といって何ができるわけでもなく、このところ「じれったい」が続いているままだ。

私にミュージアムの館長を依頼したのは角川さんである。一度は固辞し、二度目に「短期間なら」ということで引き受けて、オリンピックにまにあわせた開館に向けてなんとか準備を整えていった。ところがオープン間近になって新型コロナウイルスが都内に蔓延し、さまざまな予定が変更された。日本中の美術館、博物館、劇場、動物園、水族館、娯楽施設が軒並み頭(こうべ)を垂れるしかなくなったのだから、仕方ない。

スタッフの諸君ともどもいろいろやりくりをして開館させたのだけれど、その後もコロナの猛威は強まったり弱まったりで、思い切ったことがしにくくなったままにある。

そのため「短期間なら」と約束したその期間が、さてどのくらいのものなのか、読めなくなった。これまた、じれったい。そこへ角川さんの拘束が加わった。いったいこの先に何が待っているのか、さらに読めなくなったのだが、いまはもう少し軌道にのるまではお勤めしたいと思っている。

タンタロスの神話は、神と人とのあいだにおこった宙ぶらりんの事態を暗示するものであるが、おそらく今日の(各国の)社会のそこかしこのあいだにもおこっていることなのだろう。私たちとしては、ミュージアムの新たなエディション(再編集)をもって応えるしかない。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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