館長通信
写真:中道淳
No.492023/01/01
PK戦で決着がつくなんて
ロシアによるウクライナ侵攻が止まらない。ゼレンスキーは国民全部で抵抗すると宣言し、各国からの武器や資金の援助を取り付けた。プーチンには予想外の執拗な抵抗だった。核兵器による脅しも効かなくなった。
勝ち負けを争うからといって、戦争とスポーツはまったく関係がない。スポーツでは武器(道具)がほぼ同一であることがゲームを成立させる最大の条件で、加えて必ずレフェリーがいて、試合中のペナルティに目を光らせる。戦争では兵力武器が非対称で、どんなレフェリングもリアルタイムの場のためには用意されていない。
戦争とスポーツの比較はできないのだけれど、それでも二つを比べてみると、いくつも考えさせられることがある。たとえばサッカーのワールドカップなどを見ていると、FIFAのランク上位の強国が勝つとはかぎらない。小さなチームが打って一丸となり、独自の戦法で強国をとことん苦しめるということがしょっちゅう起きる。
また専守に徹したチームからはなかなか点を取りにくい。国家間の安全保障でも日本のように「専守防衛」だけが許容されている国があるのだが、これは「点を取らないゲーム」に参加しているようなものなのである。
戦争になくてスポーツに設けられていることに、時間制限もある。サッカーは45分ハーフ、ラグビーは40分ハーフで、ボクシングや柔道でも時間が決まっている。こうなると、ちょっと不都合なこともおこる。得点が同点のままタイムアップしてしまうことがありうるのだ。引き分けにするという手もあるけれど、トーナメントではそうはいかない。
サッカーはここで、PK戦という局部ルールで決着をつけることにした。これがなんとも歯痒い。緊張もするし、ちょっとした蹴りぐあいでキーパーに弾(はじ)かれる。プロスポーツではめずらしい光景だが、観客はともかく、一騎当千の選手たちもひたすら手を握りしめて祈るばかりなのである。
PK戦で負けたほうの「ぐったり」も慰めようがないほどだ。たいてい「気にするなよ」と声を掛け合うようだけれど、気にしていないなら、へたり込みなどしない。
いったいPK戦とは何なのだろうか。それまでのゲームルールにピリオドを打って、一発勝負の場外戦で決めましょうと言っているようなもの、これを社会に適用するとどんなものなるのか、興味津々だ。
私はかねてより、或る種のボールスポーツに「オフサイド」を思いついたことをかなり評価してきた。サッカーやラグビーには攻撃側のポジションに限界線が設定されるのである。かつてラグビー日本を代表していた平尾誠二と『イメージとマネージ』という対談集を本にしたことがあるのだが、このときも平尾はオフサイド・ルールのおもしろさを熱っぽく語っていた。
オフサイド・ルールは「ずる」を阻むものだった。だからこそオフサイド・トラップなどの作戦も生じて、ゲームが高度にも複雑にもなった。しかし、PK戦はそういうものではない。勝負の成り行きを単純化させ、ミスを公然化して、チームの徒労感を増させるばかりなのである。どうしてもあの緊張がたまらないというなら、PK戦ばかりのゲームをやってみてはどうなのか。
角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)