角川武蔵野ミュージアム

館長通信

写真:中道淳

No.472022/12/01

ラップ、ボカロ、トランスジェンダー

いまの日本は混乱期の中にいる。この混乱は地球が人新世(Anthropocene)に入ったのち、資本主義が過熱して環境変異がおこり、世界が新たな多極化をおこして、各国が必死にSDGsや生物や性の多様性を守らざるをえなくなってからの混乱期なので、ひとり日本だけでなんとかなるものではなくなっている。

一方、巷間にポップカルチャーやサブカルが席巻しているのは毎度のことだが、なかでもユーチューブやラップやボカロの流行を見ていると、何かが大きく変質していることがよくわかる。

私の青少年期にもポップスやサブカルズは目立っていたけれど、その特徴はつねに特異で、個別的だった。たとえば手塚治虫とサザエさん、美空ひばりとロカビリー、黒沢明と力道山、ジャズとヌーヴェルヴァーグ、黒四ダムと東京タワー、ローハイドと事件記者に、みんなの目が斉(ひと)しく奪われる時期だった。

やがて週刊誌と少年マンガ誌が席巻し、マイカーブームに日本列島が埋まっていくと、戦争を抱いた昭和は唸りをあげて終幕していった。昭和64年が1989年である。この時期にバブルが崩壊しただけでなく、世界ではベルリンの壁が倒れ、ソ連が解体し、湾岸戦争が始まった。ここで何かが巨きく変質した。

こうして90年代は「失われた10年」とよばれながらも、インターネットが準備をおえて、またたくまに広がっていった。現実の特異性は電子の中の特異性であらわせるようになったのだ。それとともに一様な成長だけで時代世界を語れなくなった。自動車がガソリンから電気に変わることになったのは、自動車産業の成長のためではなく、地球炭素の状況が人新世に入っていったので、あわてて舵を切ったのである。

コンティンジェンシー(contingency)というシステム科学用語がある。ニクラス・ルーマン以降は社会哲学用語になった。「偶有性の発露」などと訳されることもある。ある現象からそれまでになかった「別様の可能性」が生まれていく可能状態のことをいう。システムの線形的な進捗(増殖・成長)からは予想のつかない「別様の可能性」が生み出されていくとき、その現象世界は「コンティンジェンシーをもっていた」とみなされる。システム科学の議論では「非線形な複雑系の特徴」というふうに理解される。

たとえば最近話題のジェンダー(性)についての多様性は、もともと生物としての人間がもっていたものであったはずである。しかし、われわれは長らく男と女という二分法で人類文明を眺めてきた。しかし、そこには実は二分法を超えるコンティンジェンシーがずっとひそんでいたのである。われわれは別様の性をどのように満喫したってかまわないはずなのだ。

ふりかえって私は昭和のあのころ、力道山にマトリックスを、手塚治虫にアンドロイドを、美空ひばりにボカロを感じていたのかもしれないと、いまでは思えるようになった。時代の変化というもの、同時代ではなかなか掴めない。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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