館長通信
写真:中道淳
No.432022/10/01
リベラル・アーツの伝統
エリザベス女王の葬儀を特集していたBBCの番組を見ていたら、「女王陛下のリベラル・アーツ」という言葉が何度か出てきた。女王は子供時代、宮廷内で教育を受けたのだが、その方針には家庭教師マリオン・クロフォードらによってリベラル・アーツが貫かれていたというのだ。
なるほど、女王の死去にともなうヨーロッパの報道を見ていると、英国という国の教養文化が次から次へと多様に映し出されているという印象があった。はたして日本の国葬にともなう番組に、そういうものを感じることができるだろうか。あまり期待ができないかもしれない。
リベラル・アーツとは、古代ギリシア・ローマに発した「自由人にふさわしい教養」あるいは「自由のための学芸」というもので、ラテン語では「アルテス・リベラーレス」と名付けられていた。アルテスはアルス(ars=芸術)の複数形である。文字どおりは自由学芸諸科にあたる。
中世ヨーロッパの修道院や大学がこのリベラル・アーツを重視して、「自由七科」を設定したことから大いに重視されるようになった。アウグスティヌス、カッシオドルス、ボエティウスの努力が大きい。
自由七科は文法・修辞・論理・算数・幾何・天文・音楽の七科を数えることが多いけれど、教育機関によってはここに織物・農業・医療・演劇を加えたり、入れ替えたりもした。時代や風土や国民文化にとって必要な教養が選ばれたのである。オックスフォード大学、ボローニャー大学、パリ大学はリベラル・アーツの充実と発展に尽くした。ヨーロッパの図書館の蔵書もリベラル・アーツに関する本を揃えることで充実していった。
19世紀になって、英国のジェントルマン教育やハーバードやイエールなどのアメリカの大学教育に採り入れられると、リベラル・アーツこそが教育の根幹とされるようになり、社会人は大学でのリベラル・アーツの修得を前提とする者というふうになってきた。コミュニケーションの能力の基本がリベラル・アーツによって培われるという見方が確立していったのだ。
スティーブ・ジョブズは亡くなる1年前、「われわれはリベラル・アーツとテクノロジーの交差点に立っている」とスピーチした。いまや電子ネットワーク社会もリベラル・アーツ時代なのである。
ところが日本では、リベラル・アーツは教養学部で教えられるものだというふうに狭(せば)まった。専門的な知識以外の科目、たとえば哲学や倫理や世界史を学ぶことがリベラル・アーツだとやや勘違いされてしまったのである。明治維新にリベラル・アーツが「教養」と訳されたり、西周によって「芸術」と訳されたりしたことにもよる。
もっとも最近は各大学でリベラル・アーツを取り戻そうとする動きが活発になってきて、独特の工夫をするところもふえてきた。大いに結構なことだ。私は、日本には日本なりのリベラル・アーツがあっていいと思ってきた。そして、そこには、連歌や俳諧、遊芸や武芸、仏像鑑賞や薬草吟味なども採り入れられるといいと思ってきた。いや、これからのリベラル・アーツには水墨画やマンガ、三味線やボカロが採り入れられたっていいだろう。リベラル・アーツとは「自由な方途を発見できる」ようにすることなのである。
角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)