角川武蔵野ミュージアム

館長通信

写真:中道淳

No.422022/09/15

横尾忠則と山本耀司

横尾忠則の『原郷の森』(文藝春秋)がめっぽうおもしろかった。帯に「異色の芸術小説」と銘打たれていたが、小説というより古今東西をまたぐ仮想の大シンポジウムになっている。

ダンテの『神曲』よろしく溶暗の淵に降り立ったYこと横尾忠則が、次から次へとあらわれる北斎、ピカソ、ルソー、デュシャン、折口、川端、ダリ、キリコ、黒澤、三島、ウォーホル、澁澤らを相手に(もっといろいろの人物が登場する)、人間とは何か、アートとは何か、表現とは何か、霊性とは何か、デザインとは何かを忌憚なくぶつけ合うという構成なのである。

ヨコオさんは若くして異色のグラフィックデザイナーあるいはイラストレーターないし版画家として群を抜く仕事を世に問うてきたが、1982年に南天子画廊で油絵の個展をして「画家宣言」をすると、それからは奔放自在なタブローを描きまくって、またまた斯界を驚かせた。

それが今度は小説やエッセイストとして驚かせてくれたというのではない。ヨコオさんはずうっと文章もうまかった。私はながらく横尾エッセイのファンでもあった。ただ、今度の『原郷の森』にはぶっとんだ。

最近の山本耀司のデザインは実にカッコいい。とくにメンズは圧倒的で、他の世界中の有象無象のデザインがついてこられない。ぶっちぎっている。

カッコいいのは1972年にワイズを立ち上げたときからのことではあったけれど、つまりそのころから独自の「哲学」を感じさせていたのだけれど、2009年に会社が民事再生法の適用を食らったのち、不死鳥のように蘇ってからはさらに凄みを増してカッコよくなった。

私は30代後半からイッセイ、コムデ、ゴルチェ、ヨウジばかりを主に着てきたのだが、還暦を過ぎてからはヨウジばかりに染まっている。布と縫製の質がよくて大胆で、ちょっぴりアナーキーでレイヤードのしくみがきわどく、まるで思想を遊んでいるような気がして、着ているととても愉快なのだ。こういう男物はなかった。

ヨコオさんもヨウジさんも、大きな転換をして仕事を劇的に組み上げていったクリエイターである。ヨコオさんは若き日々のデザイナーの名声にとどまることなく未知の絵画に転じ、ヨウジさんは倒産の憂き目をものともせず、男心を鷲掴みにしていった。それぞれやりたいことに徹していったのである。経済人類学を提唱したカール・ポランニーが1944年に書いた快著『大転換』の原題でいえば、それは「ビッグ・トランスフォーメーション」というものだ。既存のフォームやフォーマットに挑むこと、それがトランスフォーメーションだ。

いま、世界は本気のトランスフォーメーションをいろいろ経験すべきだろうと思う。適当な修正や数年しかもたないアイディアは、いらない。忖度ばかりの業界事情に堕していてほしくない。それには一人ずつが大転換をおこす勇気が望まれるのである。今回は先ごろ亡くなった三宅一生さんを偲んで、この通信を綴ってみた。ヨコオさんもヨウジさんも一生さんのトランスフォーメーションの勇気に強い影響を受けていたからだ。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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