館長通信

写真:中道淳

No.412022/09/01

不確定・不完全・不確実

コロナ・ウイルスの感染はなかなか予想できない。ウイルスが宿主を求めて次々に変異するからだ。ワクチンを開発し普及させても、そのころには別の変異株になっている。

世の中には予想のつかないことはいくらでもある。あした何がおこるのかなんてわからないし、株価も1週間先のことはわからない。天気予報も1カ月後の月曜日のことになると予測がつかない。

70年代後半、ガルブレイスは『不確実性の時代』という本の中で、これからの経済社会は不確実性(uncertainty)に向かって進んでいくと述べた。情報が不確実である以上、その情報に依存する経済もてきめんに不確実になるという主旨だ。しかし、不確実なことはいくらでもある。

物理学では同じ英語の用語を、「不確実」ではなくて「不確定性」と訳す。量子力学者のハイゼンベルクが提起した不確定性原理は「物質の究極の動きはつねに不確定の中にある」ということを証明した。物質の運動や位置を確定できないというのだ。こうして自然界の究極の姿にも、そもそも不確定な様相があることがわかってきた。

原因のある不確実や不確定もある。オンラインや電話やスマホの相手の音声が不明瞭になることがあるが、これはノイズ(雑音)やハウリング(強制共鳴)のせいでおこることが多い。もともとの音声が不確定だったり不確実だったりするわけではない。入力がちゃんとしていても、出力のどこかのプロセスで環境条件が邪魔をして、その入力情報をきれいに再生できなくされている。

私たちはいま、インターネットの普及以降、巨大なネットワークに包みこまれたままになっている。スマホが手元にあるかぎり、この環境から解放されることはない。しかし私たちはこれによって新たな「不確実」と「不確定」をさらに身近にしてしまったともいえる。

数学者のジェイムズ・スタインに『不可能、不確定、不完全』(早川書房)というおもしろい本がある。世の中には「不可能なこと」と「不確定なこと」と「不完全なこと」は別々にあるのであって、そのことをそれぞれ区別して証明するのが21世紀の数学のお役目だということが書いてあるのだが、いろいろ身につまされる。

私たちは不可能、不確定、不完全をごっちゃにしてきた。不完全はピースが足りなかったのだから、なんとか補填できるかもしれないが、不可能なことは試みても完遂できないこともある。不確定は予測しきれない現象があることを示すのだから、これらを前提に仕事や思考を組み立てていると、とんでもない方向に向かっていきかねない。

では、はたしてコロナ・ゼロ作戦、ウクライナ戦争、政界の民主化、炭素軽減社会の実現、核兵器の非使用などは、そのどれなのか。SDGsは実現可能なものなのか、あらためてそこが問われる。

21世紀は「一番強い」「なんでもわかる」「ゆきとどく」「絶対に勝つ」ということを謳っては危険なのである。ところが世の中、なかなかそうならない。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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