館長通信

写真:中道淳

No.402022/08/15

神話をベンキョーしない日本人

世界トップの清涼飲料水メーカーのバイスプレジデントに仕事を頼まれたとき、こんなことを言われた。「われわれ欧米人は子供時代から地中海の歴史とギリシア・ローマ神話を叩きこまれてきたけれど、日本人はどうして神話をベンキョーしないんだ?」。

また、「神話が共有されていないで、どうしてロイヤルティ(帰属性)が生まれるんだ? 日本市場でマーケティングが成立しないのはそのせいじゃないか」とも詰(なじ)られた。失礼な奴だと思ったけれど、残念ながらそういうところがある。

日本の神話のあらかたは「古事記」と「日本書紀」にだいたい語り尽くされているけれど、その中身はあまり知られていないままかもしれない。とくに日本人がその神話によってどんな民族観や国家観や歴史観をもつのか、そんなことを学校でちゃんと教えられたことがない。

たとえば、アマテラスが天の岩屋戸に隠れた話は有名だろうが、誰の娘なのかは知らない。イザナギとイザナミの子だ。二人が日本のアダムとイヴなのだ。けれどもイザナミから産まれたのではない。イザナミはその前に亡くなっている。それで仕方なくイザナギが体や顔を洗っていたら、左の目を清めたときにアマテラスが出現した。これは「禊」(ミソギ)による出生だ。神話では「化生した」と言う。弟のスサノオは鼻を洗っていたら化生した。

やがて姉と弟はケンカ別れをして、アマテラスは「高天が原」(のちのヤマト)を管轄し、スサノオは「根の国」(出雲)で国づくりをする。けれども高天が原の国づくりの出来がよくない。根の国はオオクニヌシが登場して充実する(この経緯が出雲神話になる)。羨ましく思ったヤマト側は、出雲の国モデルを譲ってほしいと思い、交渉するのだが、なかなか交渉が成立しない。

すったもんだのすえ、出雲は高天が原側に国を譲った。これを「国譲り」という。こうしてヤマト国家ができた。ヤマト日本はさしずめM&Aによって出来たのである。

どうしてそうなったかということについては、前段にこんな話が入っている。高天が原では国作りがうまくいっていないので、衆議して地上に代表団を送りこむことにした。ホノニニギノミコトが代表に選ばれて調査に出発した。日本神話ではこれを「天孫降臨」という。日向(九州)に降り立ち、そこで時を閲しているうちにイワレヒコの時代になって、もっと東の方を探索することにした。山陽・山陰・難波を制圧してヤマトに入った。イワレヒコは神武天皇と名付けられ、ハツクニシラススメラミコトと呼ばれた。

敗戦後の日本では、こういう物語を教えることをGHQが禁止した。そして、そのまま学校で日本神話を教えるのは、ほぼ憚られてきた。

神話は歴史そのものではない。ギリシア・ローマ神話も、どの民族やどの国の神話も、荒唐無稽なエピソードがいろいろ入りこんでいる。戦争や収奪や不倫の話も入っている。しかし、そこには民族や国のなんらかのDNAもまじっている。そこを学び、検討し、どのように見ていけばいいかを考えるのがロイヤルティのスタートである。

またぞろアメリカの企業トップから「日本人の神話知識の欠如」を詰られる前に、日本の学校やメディアやミュージアムが神話文化をどう語っていくのか工夫したほうがいい。すでにマンガやアニメはそうしたことに挑んできた。ちなみに角川武蔵野ミュージアムでは3階で安彦良和特集をしたが、安彦さんの『ナムジ』は日本神話の読み方を組み立てたものだった。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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