館長通信
写真:中道淳
No.392022/08/01
知覚・表現・展示・宙吊り
私たちは生まれ落ちてこのかた、呼吸して、寝起きして、食べたり排泄したり、騒いだり、何かに夢中になったりする。そして、どんなときでも知覚しつづけている。
知覚は私たちが動物だったころから継続してきた活動で、ヒト(ホモサピエンス)になってからは、主に五感が組み合わさって知覚を磨ぎすませてきた。ただし私たちは五感で知覚しているだけではなく、脳では知覚された情報をさまざまに解釈しているので、知覚にはたいてい認識が伴っている。これを認知という。
私たちは認知する動物なのである。しかし、認知しているだけではない。私たちはまたコミュニケーションしつづけている。家族や友だちとコミュニケーションし、自然や風景と交感しあい、社会の中ではさまざまなコミュニケーションの受け手にも送り手にもなってきた。そうしたコミュニケーションの一部は表現と呼ばれる。
表現には言葉によるものもあれば、音や視覚や体によるものもある。その表現手段のちがいによって、表現は文学にも絵画にもマンガにもなるし、音楽やダンスやスポーツにもなる。表現にはその場かぎりのものもたくさんあるけれど、表現されたものが残っていくものもたくさんある。それらは小説や俳句や楽譜になり、新聞やアートや建築物になる。たいていはノーテーションやドローイングをもとに、こうした表現物が作られ、残されていった。
やがて人々の共感を求めて、いろいろな趣向の表現物が選ばれて展示されるようになった。こうしてサロンやギャラリーやミュージアムができた。
アートが展示されるようになったのは、ヨーロッパで印象派が台頭していた時期だった。展示会場にはモネ、ルノワール、シスレー、ピサロ、セザンヌなどが並び、そしてやがてゴッホに及んだ。印象派は人々に「絵を見る」というコミュニケーションを提供したのである。
このことの意味と特色を、コロンビア大学の美術史家のジョナサン・クレーリーは『知覚の宙吊り』という本にまとめた。印象派の絵画が人々の注意を集め、そこにスペクタクル(めざましさ)を感じさせるようになったのは、私たちの知覚の歴史と表現の歴史がここでピークを迎えて交差したからで、それによって私たちはアートを「宙吊り」の中で鑑賞できるようになったというのだった。原題は“Suspensions of Perception”という。
印象派の画家たちは、絵画が「知覚の受容器」になりうることを打ち立てたのである。
その後、「知覚の受容器」は絵画から写真や映像に発展し、サロンやギャラリーやミュージアムは映画館やテレビやコンピュータやプロジェクション・マッピングに移れるようになった。それとともに、私たちは「印象」が何度でも再生されうるものだということに気が付かされた。
知覚と認知と表現と展示の歴史は、いまではスマホの中で息づいている。それはいったいどんな新しい「宙吊り」を見せているのか、それともそこには新たな「宙」(そら)が出現しているのか。21世紀のミュージアムには第2、第3のジョナサン・クレーリーが待望されている。
角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)