館長通信
写真:中道淳
No.292022/03/01
脳と「人間らしさ」と芸術作品
テレビドラマや映画やアニメを見ていると、ついつい夢中になる。小説やマンガを読んでいても、胸が詰まったり浮きうきしたり、ときに不安になったり考えこんだりする。フィクションであることがわかっていても、そういう感情がおこる。
古代ギリシアや万葉時代でも同じだった。人々は演劇に酔いしれ、歌謡に心を奪われた。シェイエクスピアの筋書きにも近松の浄瑠璃にも共感してきた。こういうことは歴史の中でずうっとおこってきた。その共感には、いろいろな意味での「人間らしさ」が出入りした。なぜそうなるのだろうか。
私たちは長い進化のプロセスをへてヒトになった。森林にいた霊長類の仲間が草原に出て直立二足歩行を始め、火をおこし、道具をつくり、言葉をしゃべるようになった。このときヒト独特の脳が形成された。
ヒトの脳はとても複雑な構成なので、そのはたらきをわかりやすく説明するのはたいへんだが、とくに二つの傾向をもっているということが知られている。ひとつは「私」(自己)という意識をもち。他人を感じるようになったこと、もうひとつは筋書きのある「物語」を作ったり理解できるようになったことである。
認知科学者のマイケル・ガザニガに『人間とはなにか』という興味深い本がある。「人間らしさ」の起源をさぐった大著だ。脳の研究者でもあるガザニガは、ヒトの脳には少ない情報をたくみに組み立てて行動の計画を予想したり、過去や未来の流れを認識するための「インタープリター・モジュール」という機能を操作するしくみがあって、このしくみがだんだん発達して「私」という意識と「物語」という情報の束をもてるようになったのではないかと仮説した。そしてこのことが、私たちの「人間らしさ」を形成してきたと考えた。
脳の中の「インタープリター・モジュール」とは、文字どおりは知覚情報の翻訳機能を司るニューロン(神経細胞)のモジュールのことであるが、ここでは「理解の様式を用意するしくみ」と見ればいいだろう。
さてガザニガは、この本の後半で美術や音楽や文芸などの「芸術がもたらす力」について考察をすすめ、芸術はヒトの脳のしくみに対応してつくられてきたのではないかと書いている。私たちが小説や映画やアートによって感情がゆさぶられるのは、ヒトの脳の特徴が外側に汲み出されて、その特徴が言葉や場面に反映され、登場人物や出来事に分解され、新たに芸術作品として再構成されているせいではないかというのだ。
この見方は当たっているところがある。私がヨーロッパの洞窟画や縄文土器や青銅器、あるいは古代の詩篇や歌謡や神話に魅せられて、その造形と構成のよってきたる理由をうんうん考えていたときの予想とも近かった。
ミュージアムには、このような「脳」の中身を外にとりだしてきたさまざまなモノやコトを展示するという役割がある。それは「人間らしさ」の再々構成に相当するものでもある。ミュージアムは脳っぽいものなのだ。
角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)