館長通信

写真:中道淳

No.282022/02/15

ミュージアム学校の可能性

アフガニスタンの学校事情が混乱している。やっと中学・高校が再開されたと思ったら、女子が許可されなかった。女子教育の現状はいまなお厳しい地域も多く、サハラ以南の5200万人、南アジアの4650万人の女子がいまだに学校に行けないままだ。

他方、ニューヨークにはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーなどのLGBTだけが通える公立高校もある。教育はその国の基礎をつくるもの、どんな国やどんな町の学校も充実していってほしい。

学校の歴史は古い。メソポタミアにもあったし、中国の春秋戦国期では諸子百家が立った。古代ギリシアやローマではギムナシオン(ギムナジウム)として身体訓練・哲学・文芸・音楽を教えた。中世のヨーロッパで大学が生まれると、全員がリベラル・アーツ(自由7科)を学んだ。文法・修辞・論理の3学と、算数・幾何・天文・音楽だ。

日本では貴族のための大学寮が公的な教育機関になり、寺院が私的な学習センターの役割を担った。僧侶や尼僧になることは仏教を通した学習に励むことでもあったのだ。西のキリスト教修道院、東の仏教寺院は宗教施設でありながら、長らく教育の場でもありつづけた。

学校はどんなふうにでも成立しうるし、どんなことを学べるようにしてもかまわない。インドのビハールの青空学校.夜になると大人たちが通うアイルランドの小学校、教室をリビングルーム化したオランダのイエナプランなど、いわば何でもありなのだ。円形テーブルでディスカッションだけをする学校、ミーティングと掃除だけを重視する学校などもある。デザインから着付けにおよぶ各種学校や、工作機械やロボット設計におよぶ職業訓練学校がはたしてきた役割も大きい。

通信教育が発展してハイブリッドになったり、オンライン学習に徹する学校も目立ってきた。スタンフオード系列のオンライン・ハイスクールは進学校のトップに躍り出たし、日本でも角川ドワンゴ学園のN高・S高が新たな学習機会を提供しているだけでなく、大学進学面でもめざましい成績をあげている。

当然、博物館や美術館や図書館も重要な教育施設として歴史を閲(けみ)してきた。アート教育・読書体験教育・科学技術教育はもちろんのこと、コミュニケーションの場として、地域文化を学ぶ場として、親子が表現をかわす場としても、さまざまに機能してきた。 学校はどこにでも出現しうるのだ。先生はどこにだって待っている。江戸時代の町の寺子屋の先生は誰がなってもかまわなかったように、21世紀の寺子屋はどんなふうにも学習機会を提供しうるのである。

世阿弥は「まねび」こそが「学び」だと考えた。「物学」と書いて「ものまね」と読ませもした。何かをまねる気になることは、学習の大きなモチベーションになる。多くのミュージアムにはその「何か」がいっぱい用意されている。そうしたミュージアムが21世紀の「学校の可能性」を担う日がだんだん近づいているように思う。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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