館長通信

写真:中道淳

No.272022/02/01

膜とインターフェース

メディアとは何かということはとても大事な話なので、いずれ別の機会に書くとして、ここで話題にしてみたいのは、私たちの生命体としての体も私たちが住んでいる社会もはなはだメディア的になっているということだ。メディアっぽいということだ。

生命のしくみは細胞を単位として組み立てられていった。細胞は生体膜(細胞膜)によって内側と外側とを分けている。この膜はタンパク質を埋めこんだ脂質二重層でできていて、細胞の内側の機能を保持しつつ、外からの情報を選択的に取りこめるようになっている。膜の浸透力のおかげだ。

細胞だけでなく、私たちの体の器官の大半が薄い膜で覆われて、その機能の多くが微妙な動的平衡を保つようになってきた。膜がなければ生命活動はいきいきとしないのだ。

細胞だけではない。皮膚や唇も膜でできているし、フィルムやテントや糊や化粧品、あるいはコーティング・フライパンやレインコートなどのさまざまな人工物も独特の膜でできている。もともと私たちが出入り口と窓のある家に住んだり、TPOに応じた服を着たりするのは、社会生活をいろいろな膜によって保護するようにしてきたからだった。

情報にもそういう膜が必要だった。通信やコンピュータ・ネットワークの歴史はインプットされた情報を空間と時間をまたいでアウトプットできるようにすることに始まったのだが、そこにもいくつもの膜が工夫されてきた。

情報の勝手な漏出を防ぎ、かつ内と外でのコミュニケーション(相互通信)を可能にするには、情報の出入りを自在にコントロールできる膜によるしくみが欠かせない。コンピュータがフリップ・フロップ回路や半導体によってしだいに巨大な装置になっていったのは、その基本に情報の出入りを制御できる膜構造があったからだった。

以上のことをまとめていえば、生命のしくみもコンピュータ・ネットワークの仕上がりも、はなはだメディア的に(マルチメディア的に)できあがっていたということになる。もうすこし詳しくいえば、生命やIT機器がメディアとしての多様な機能を発揮できるには、どんなフィルターを使って、どんなインターフェースにしていくかということが重要だったということになる。

フィルターとは必要な情報を通過させるための濾過膜のことを、インターフェースとはその必要なものが知覚に届きやすくする境界面の膜のことをいう。情報のメディア化にはこうした膜としてのフィルターとインターフェースが付き物だったのだ。

実はミュージアムも巨大な膜構造になっている。誰もが出入りでき、何時間いてもかまわないのだが、展示されているのは情報がさまざまにメディア化されているものたちばかりで、お持ち帰りはできない。お持ち帰りできないぶん、そのかわりに世界中のミュージアムが工夫を凝らしたフィルターと来館者と展示物とのあいだのインターフェースを用意してきた。 ということはミュージアムはもともと生体膜的なるものやコンピュータ・ネットワーク的なものでつくられていたということなのである。来館者はミュージアムの膜とインターフェースを透過する。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

Pagetop