館長通信

写真:中道淳

No.212021/11/01

連歌に学ぶ館

日本の中世に発達した連歌(れんが)には、さまざまな「しばり」と「あそび」が混在していて、歴史上のいろいろな連歌集を読んでいても、自分で連歌の会に参加してみても、たいへんおもしろく、めったに飽きない。

基本は、Aが詠んだ575の発句(ほっく)をBが77の脇句で受け、これをCが575の第3句に転じると、それをまたAあるいはDが77と付けていくというふうに、575・77が次から次へと連なっていくスタイルをとる。これを付合(つけあい)という。日本文化の真骨頂だ。日本料理にも応用されている。

参加者は会衆あるいは連衆といい、宗匠のもとに四、五人から十数人が寄り合い、正式には百句百韻を詠んで1巻として仕上げる。懐紙(かいし)全紙を横に半折して折紙4枚を、初折・二の折・三の折・名残(なごり)の折に分けて巻く。だから連歌一式をまっとうすることを「歌仙を巻く」という。書記役に右筆(ゆうひつ)が控える。

たんに連なるのではない。式目とよばれる「しばり」がある。季節が渋滞するのは避けなければならない。夏の句が少し続くと、次の詠み手は句境を秋に近づけて「季うつり」をする。「去嫌」(さりぎらい)は、同じ字や同じ景事が続くのを嫌って、2句あけたり3句あけたりする。

体言止めが続くのも好まれず、似たような心境や光景が続くのは「リンネ(輪廻)になった」といって避けられる。連歌は変化を尊ぶのだ。こうした連歌の特色を連歌師の宗祇(そうぎ)は「のきてつづく」と言った。のいて(退いて)こそ、次に続けられるわけなのである。

題材は定座(じょうざ)が好まれる。花鳥風月が定座で、とくに月と花が選ばれた。しかし月や花ばかり詠んでいれば、すぐに行き詰まる。そこであえて「しばり」をつくったのである。「しばり」こそが独特の変化をつくっていくことになった。

歌仙をうまく巻ける宗匠はその筋から褒賞され、さらなる極意が伝授されることがあった。これを「折り紙」で顕賞したので、以来「折り紙付き」という褒め言葉がつかわれるようになった。

その後、連歌は堺に武野紹鴎(たけの・じょうおう)が出て、その様式のおもしろさを茶の湯に採り入れ、これを千利休が「侘茶」(わびちゃ)に仕上げていった。また江戸時代になると連歌から発句が自立して俳諧となり、そこから連句や、さらに落語や宴会芸や俗曲につながって、大喜利や謎解きにつながっていった。

連歌は「連想の翼」をはやすためのゲームであり、コミュニティだったのである。独自の「しばり」が数々の「あそび」(遊芸)を生んだ。かなり凝ったものも、名人芸のような連打も、ふざけたものも、競い合ったものもあった。おそらく日本文化に「見立て」という技法が発達できたのも連歌のおかげだったろう。

角川武蔵野ミュージアムは「連想の館」でありたいと思っている。連歌から学ぶことがそうとうにある。できれば、いつかはみなさんと歌仙を巻いてみたいとも思っている。連歌1巻のラストフレーズを「挙句」(あげく)というのだが、ミュージアムがみなさんに贈るプレゼントも、愉快な挙句の印象でありたい。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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