館長通信

写真:中道淳

No.202021/10/15

もっと異界が見てみたい

ミュージアムの役割のひとつに「異界をお見せする」という役割がある。異界とは自分たちがふだん属する世界とは異なる世界や領域のことで、そこには未知の文化がふんだんに待っている。だから衣裳、風俗、住人、表現物、イコン、記号、ダンス、儀式、挨拶などのすべてが、異界を示すものになる。死後の世界や霊力の世界も異界になる。

いま、SFやマンガやアニメや映画の多くが「異界への冒険」を描き、「異界の陥入」をモチーフにするようになったけれど、これはずっと昔からのことだった。古代エジプトの絵文字ヒエログリフが示しているのは当時の異界の様子が多く、古代中国の『山海経』(せんがいきょう)という本は東西南北の先にある異界や異人をずらり紹介していた。いまでも風変わりな絵がたくさん遺っている。

異界を知ることは、自分たちが属してきた世界がどういうものかを自覚するためにも必要なことだった。プラトンはアトランティスという失われた世界のことをずっと気にしていたし、そうすることでギリシア都市国家の理念や価値観がどうあるべきかということを哲学した。ダンテが『神曲』に書きたかったことは、キリスト教では窺い知れない世界の果てには、いったいどんな現象やどんな出来事がおこっていたかということだった。そこで地獄篇、煉獄篇、天国篇という3部構成を案出した。

古代日本はご存知のようにヤマト朝廷が律することになったけれど、日本の各地にどんな風俗や文化があるかということはわかっていなかった。そこで4つの方面に向けて吉備津彦ら4人の四道将軍を派遣したのだが、充分なことがわからない。やむなく各地の国司にその土地の歴史文化を調べさせて(ヒアリングを重ねて)、報告させることにした。これが『風土記』である。

さしずめ『神曲』や『風土記』は、異界のことを知るための「読めるミュージアム」だったのである。

中世や近世は専制君主の時代だった。君主は兵士たちとともに異国を征服する。現地に行くわけだから、異界を知るにはもってこいだった。多くの戦利品と捕虜がもたらされ、王家の館や部屋を飾ることになった。エカテリーナ女帝のように宝飾や美術品を陳列した君主も、ルドルフ2世のように魔術的なものを蒐集した君主もいた。このことは近代になっても変わらず、ナポレオンはエジプト遠征のときに多くの学者や研究者による調査団を組んで、遠征が一日ずつ進むたびの記録を採らせた。そのドキュメントは厖大な『エジプト誌』となり、今日の大博物館のエジプト展示の基礎になっている。

しかし、異界が征服によって見えてくる時代は了(おわ)った。また太陽系やブラックホールといった遠方の未知だけが異界の主語になるわけでもなくなった。たとえば「海中」、たとえば「森林と土壌」、たとえば「脳と内臓」、たとえば「幼児の想像力」、これらも今日の日常世界のすぐそこにありながら、いまだ見えてこない異界なのである。

異界をどのように展示するかという方法は大きく変わってきた。戦利品のように異界の証拠品を並べるのでは、深いことが何もわからない。さいわい文化人類学などの発達によって、文化の再現と展示のための手法がさまざまに試みられてきた。そのぶんコンピュータやVRやARや3D映像の技術によって、異界を擬似体験できる方法がふえてきた。いまや街の一角に巨きな建物をもつミュージアムはミュージアム自体が異界なのである。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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