館長通信
写真:中道淳
No.192021/10/01
ヘレニズムとバロック
コロナ・パンデミック、中東勢力のめまぐるしい交代、米中の深刻な対立などは、今後の世界史の動向を大きく変えるだろうことを予想させる。しかし、何がどう変わるのか。SDGsが達成できたり、ニューノーマルの日々がやってくるのか、ほとんど見当がついてはいない。
歴史をつぶさに眺めていると、ある時代がその後の文化の「発展的な総合力」や「豊富な分岐力」を用意していたことがわかってくる。日本ならば南都六宗の伽藍が揃った天平時代、貴族社会と女房文芸が開化した藤原時代、芭蕉・西鶴・近松が創作で抜きん出た元禄時代などがそういうステージになったのだろうが、ヨーロッパ文化史においてはヘレニズムとバロックが圧倒的に際立った。
ヘレニズムは西のギリシア文化(理念)と東のオリエント文化(多様性)を融合し、バロックはマクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(人体)を対同させた。私が文明や文化についての企画や構想を練るときは、決まってヘレニズムとバロックに何度も戻って、その組み立ての大筋を検討する。
ヘレニズムは紀元前4世紀のアレクサンダー大王の東方遠征からプトレマイオス朝滅亡までの約300年間がつくりあげた潮流である。それまでの古代ギリシアの神話・哲学・文化が多部族型のオリエント文明と融合して、その後の時代文化の構図を準備した。
中心になったのはアレクサンドリアという100万人人工都市で、都市そのものが総合的なミュージアムとなり、「知の創発」を奨励するめざましい学府となった。ピタゴラス、エピクロス、ミロのヴィーナス、プロティノスらの新プラトン主義、神秘主義的なグノーシス、ブルタルコス、ガンダーラ文化、ユークリッド幾何学、原始キリスト教、ヘルメス思想などが輩出した。仏教に仏像をもたらしたのはヘレニズムの影響だった。
バロックは16世紀末から200年間ほど続いた潮流で、先行するルネサンスが中心を一つにした「円」を理想にしたとすると、二つの焦点をもつ「楕円」的な世界観と動的な表現方法をつくりあげた。絵画のカラヴァッジオ、ルーベンス、ベラスケス、レンブラント、彫刻のベルニーニ、演劇のシェイクスピア、コルネイユ、モリエール、文学のセルバンテス、音楽のモンテヴェルディ、バッハらを生んだ。
なかでもエリザベス朝を飾ったジョン・ディーやロバート・フラッドやアタナシウス・キルヒャーらの神秘主義的な解読力と、ルルスからライプニッツに及んだアルス・コンビナトリア(結合術)の方法は、バロックがもたらした大きな文化的武器になった。
今日の社会は、情報資本主義が織り成すグローバル・スタンダードな価値観によって網の目がつくられたままになっている。誰もがスマホで世界と交流しているような錯覚の中にいるが、自分が相手にしている世界がどんなものかは複雑すぎて、ほとんど見えてはいない。そのため、ここからは時代を画する新たな展望が出てきていない。その準備にもとりかかっていない。
こうした時期こそは、かつてのヘレニズムやバロックのような大胆な準備が期待されるのである。とくに東西文化と南北文化の融合。地球環境と微生物社会との対同をめぐる議論に、もっともっと熱を帯びていくべきである。
角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)