角川武蔵野ミュージアム

館長通信

写真:中道淳

No.152021/08/01

ブックデザインを読む

図書館や書店では大半の本が背表紙を見せて並んでいる。日本の本は大半がタテ組だから、背表紙にもタテの文字が数語ずつ並ぶ。タイトル、著者名、出版社名(版元)が示され、下方の帯の背の言葉も読める。これを片っ端から目で追うのは(アイ・スキャニングするのは)、どぎまぎするとともに、少し疲れる。

私の長年の測定では、本棚に詰まっている本の背を右から左へ、あるいは左から右へざあっと追って見たとして、利用者(来客)は3冊~5冊の並びを記憶するのがやっとのことで、たいていはとびとびになるか、1、2冊が目にとまる程度だ。

これは「目視(もくし)によるリトリーヴァル(検索)」によって、タイトルと著者だけで中身をすばやく想定しながら自分の関心とのマッチングの具合をはかっているわけで、気になれば手にとってページをパラパラとめくるのだが、このとき本の表紙をゆっくり見ることは少ない。また、入手した本のカバー(ジャケット)をはずしてしまう読者も少なくないように思うのだが、できればのちのちまで表紙の情報を実感するためにも捨てないことをお奨めしたい。

というわけで、本は表紙のデザインをもっと気にしたほうがいい。そのほうが本と親しめるし、内容を暗示した意匠からヒントをもらえる。それが読書の励みにもなる。服装や髪形や目の大きさでその人物が印象づけられるように、本にも容姿やファッションがあるのだ。

本の外まわりに意匠をほどこすことを「装幀」(装丁)とか「ブックデザイン」とか「造本」という。デザイナーや装幀家が担当するのが一般的だが、編集者が代行することもある。タイトルのタイプフェイスをゴシックにするか明朝にするか、どんな写真や図版をあしらうのか、サブタイトルはどこにおくか、帯との関連はどうするか、みんな決める。色も雄弁である。真っ白い地に黒々した文字を配するか、レモンイエローを下地にするか、赤いカバーに白抜きの文字で見せるか、そこがブックデザイナーの腕の見せどころだ。

和綴本(わとじぼん)から脱却した日本の書籍デザインの歴史は、明治以降に漱石を担当した橋口五葉、鏡花を担当した小村雪岱、モダンデザインを導入した杉浦非水らによって革新され、戦後は原弘、亀倉雄策、杉浦康平、粟津潔、和田誠、横尾忠則をはじめ多くのデザイナーが本づくりに挑み、ときに本文組にも介入して(これをエディトリアルデザインという)、みごとなブックデザインを世におくりだした。

その後も菊地信義、平野甲賀、蟹江征治、寄藤文平、鈴木成一などが工夫を繰り出した。私の仕事場や仕事相手からも戸田ツトム、羽良多平吉、松田行正、芦澤康偉、祖父江慎、美柑和俊らが輩出し、戸田スタジオからは岡孝治が、祖父江スタジオからは佐藤亜沙美らの次の才能が躍り出た。

たくさんの人々が造本にかかわってきた。どんな紙を使うか、上製にするか並製にするか、函はどうするか、口絵に何を選ぶか、栞を挟もうか、実際には一冊の本ができるまでにはかなり多くのクリエーターや職人のかかわりがある。しかし、まずは表紙(カバー・ジャケット)をとくと見られるのがいい。

ブックデザインは「本の顔」であり「読書のための衣裳」である。あんな小さなスペースにとても重要な情報がレイアウトされている。表紙は「読めるデザインページ」なのである。ということは本はさまざまな「意味を着飾ったモデルたち」で、そういう本がずらりと並ぶ本棚はいわば「解読のためのファッションショー」なのだ。角川武蔵野ミュージアムには4階エディットタウンに本棚劇場とブックストリートがあり、1階にマンガ・ラノベ図書館がある。どの本がどんな表紙になっているのか、とくと見ていただきたい。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

Pagetop