館長通信

写真:中道淳

No.122021/06/15

荒俣宏と隈研吾の世界観

アラマタ君とクマ君にはいつくかの共通点がある。①やたらに背が高い。②想像力がめっぽう瑞々しい。③世界を相手に誰とでも仕事ができる。④何事もめったに諦めない。⑤日本が心から大好きだ。しかし、二人に最も共通しているのは「光と闇」をよくよく知悉していることだろう。だからこのミュージアムではいろいろのモノとコトが見えたり隠れたりするはずだ。ここでは世界が鬼ごっこをしているのだ。

荒俣宏に驚いたのは、ロード・ダンセイニの幻想小説集の巻末に付された長めの解説を読んだときだった。まだアラマタ君が26歳くらいのときだったと思うが、群を抜く案内分析力なのだ。そのころ「遊」という雑誌を創刊したばかりだった私はさっそく会いにいった。日魯漁業(当時)のコンピュータ室にいて、ビラを撒いていた。珈琲を飲みながら執筆を依頼した。のちの名著『理科系の文学誌』『大博物学時代』になっている。

アラマタ君の才能と仕事ぶりは途方もない。師の平井呈一や紀田順一郎をはるかに凌ぐ。異様で異常なものなら何でも調べるし、自在な文章力をもって新たなステージを次々に創り出す。そのステージは科学と幻想をまたぎ、光と闇が紛れる極上の浪漫に充ちていく。とりあえずは代表作の『世界大博物図鑑』全5巻別巻2(平凡社)と煌めく大河小説『帝都物語』全12巻(角川書店)を覗いていただきたい。

一方、東横線の大倉山に生まれ育った隈研吾は大の猫好きなのでこっそり獣医をめざしていたのだが、家屋の修繕にとりくむ父と付き合ううちに建築デザインにめざめた。少年時代に見た丹下健三の代々木屋内競技場の威容が人生を変えた。東大の建築科で原広司の薫陶を受け、アフリカなどでのフィールドワークにとりくみ、風土と素材をいかした設計をめざした。これらの原点がずっとクマ建築の土地に根ざした世界観を支えているのだと思う。

早くにモダニズムにもポストモダン思想にも別れを告げた。この見切りがよかった。代わって「根源の和」による設計が浮上して、たとえば高知の「ゆすはら」などに長期にわたってその設営が続いている。好ましい。

クマ君は日本ではめずらしく、いい本を著してきた。『10宅論』『負ける建築』『反オブジェクト』『小さな建築』『僕の場所』『点・線・面』、いずれもチャーミングで、いずれも説得力がある。私はとくに『負ける建築』を絶賛したい。勝てばいいという高度資本主義時代に「負けて建つ」というスローガンを樹立した。

スタッフを育てるのもうまい。いま日本一の建築アトリエになっている。ところで夫人の篠原聡子は建築家で、日本女子大の学長さんなのである。

荒俣宏と隈研吾――。角川武蔵野ミュージアムはこの二人と私が最初から基本プランにかかわっていた。プロデューサー角川歴彦の差配だった。角川さんはわれわれに「さまざまな要素や情報を融合してほしい」と言った。リミックスである。私は二人に「連想の翼が広がっていくもの」を作ってほしいと依頼した。

こうして、クマ君がずっと気にしてきた如庵(織田有楽斎による茶室、犬山に所在)の「うろこ板」がうんとでっかくなったような60面以上の超多角形のミュージアムが、アラマタ君が好きな「想像力が生んだ魑魅魍魎」をそこかしこに跋扈させる妖しいミュージアムが、コロナ・ウイルス禍中の所沢の一隅に忽然と出現した。ここでは「世界」がうずくまり、そして「世界」が大地から空に向かって羽ばたいていく。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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