角川武蔵野ミュージアム

館長通信

写真:中道淳

No.092021/05/01

トークンが語る力について

当時の館長に案内されて最初にボストン美術館で見入った展示物は、絵画や彫刻ではなかった。浮世絵でもない。ハープシコードやチェンバロや初期ピアノなどの古楽器だった。一室がすべて古楽器の展示になっているのだが、まるでニコラウス・アーノンクールの指揮による初期バロック演奏会が開かれているようで、そこにいると音が聴こえてくるのだ。

石川県の加賀温泉の近くに中谷宇吉郎を記念した「雪の科学館」がある。ガラスケースの中に、中谷が愛用していた茶色いぼろぼろの旅行鞄と壊れそうな丸メガネが展示されていた。それをじいっと見ていたら、私の魂が雪の彼方に攫われていくような気持ちになった。とてもいい気分だった。愛知県岡崎の資料館にあった志賀重昂の旅行鞄も、見たとたんにこの日本地形地理学の発見者の気概を感じた。

ミュージアムというもの、実にいろいろな中身と形をもっている。種類も多いし、大小の収蔵品はありとあらゆるものに及ぶ。科学者の旅行鞄からガレのガラス作品やトンボ玉まで、長谷川町子の「サザエさん」の下絵からミケランジェロの大彫刻まで、なんでもありだ。知らないミュージアムでも、何げなく入って館内を覗いていると、突然に時空を超えたものに出会える。

小さな町の郷土資料館なども見落とせない。信州須坂の田中本家の資料館では江戸の寺澤森秋の手描き友禅がパァーッと広げられていて、花鳥に包まれて飛んでいきそうになったし、ベルギーのサン・イーデルバルト(シント=イデスバルト)のポール・デルヴォー美術館に入ったときは、小さな美術館がまるごとこの画家の夢魔の魔法にかかったようで、目をこすって魔法から醒めるのがたいへんだった。

私は観光旅行を好まない。海外に行くのはほとんど人に会いにいくためか招待講演のときだけで、そういうときも自分からは観光をしない。そのかわり何をするかというと、その地のミュージアムと本屋さんに必ず行く。それで心がすごく落ち着くのだ。半世紀にわたってそうしてきた。そのくらいミュージアムは私の心の襞に響くもので、またその「つくり」はどこか本とそっくりなところを感じさせるのだ。

本とミュージアムが似ているのは、考えてみれば当然のことだ。そもそも書物は物語を入れるための函であり、ミュージアムもまた過去の出来事や作品を収納する永遠の箱舟なのである。書物には著者や編集者がいるけれど、ミュージアムにはアーティストやキュレーターがいる。どちらも「作品」を読みやすく、また見やすく工夫する。ときには「謎かけ」をする。どのように工夫するかというと、レイアウトや飾り付けやタイトルを施すのだが、その基本はトークン(token)を工夫することにある。

トークンは「しるし」「象徴」「記念品」「証拠品」という原義なのだが、「何かを代用できる力」をもつものをいう。歴史的には文字や護符や貨幣がトークンの代表で、書物は文字をトークンとして成立してきた。ミュージアムに展示されるものも、旅行鞄であれハープシコードであれ友禅染であれ、必ずや何かのトークンなのである。それはベルニーニの彫刻やピカソの絵画やデュシャンのさかさま便器や宮崎駿の下絵においても成り立っていて、私たちはそれらの作品がどんなトークンを複合化させているかを見て(あるいは裸にさせているかを見て)、その本体が醸し出している意味を感じる。

コンピュータ用語ではトークンはプログラミング言語の中の文字列のことをさす。ソースコードを成り立たせているものがトークンで、そのトークンに応じて情報の「タイプ」が決まる。書物もミュージアムも、こうしたトークンとタイプの関係で愉しめるようになると、ずっとおもしろくなってくる。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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