角川武蔵野ミュージアム

館長通信

写真:中道淳

No.062021/03/15

「幼なごころ」との出会い

中勘助の『銀の匙』はとても瑞々しい文章で綴られています。この作品は、母にもらって小さな小箱の抽斗(ひきだし)の中にいろいろなガラタクとともに入れておいた銀の匙にまつわる思い出を綴ったエッセイ風の短編小説です。勘助の師であった夏目漱石は、この作品が子どもの世界の描写として未曾有のもので、文章に絶妙な彫琢がほどこされていることを絶賛しました。

ヴァレリー・ラルヴォーに『幼なごころ』という短編集があります。その中の『包丁』という作品はミルーという少年が、同居していた少女ジュスティーヌの薬指からちょっと血を出させることになった包丁をこっそり手にするまでの、なんともどぎまぎした感覚を淡々と描いたもので、マルセル・プルーストはのちに「『包丁』を読んだときの感動があまりにも強烈で、一年以上たった今でも少し胸が痛みます」と告白しました。

こういう「幼なごころ」のことをフランス語ではアンファンティーヌと言います。ジェームズ・バリの『ピーター・パン』は大人になりたくない少年の物語ですし、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は少女だけが夢見ることができる幻想的で素っ頓狂な物語です。映画にもなったスティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』は悪ガキ四人組のたった一日の夏の冒険を描いて、そういう日々がもうやってこない気分をみごとに訴えました。

アンファンティーヌはついつい失われてしまうものなのです。しかしだからこそ忘れられないし、また忘れてはならないものなのです。作家たちもそのことをよくよく心得ています。ヘルマン・ヘッセの『デミアン』、太宰治の『女生徒』、トルーマン・カポーティの『遠い声 遠い部屋』、高野文子のマンガ『おともだち』、新海誠のアニメ『君の名は。』など、忘れてはならないアンファンティーヌ独特の記憶を斬新に表現した作品は、いっぱいあります。

私はずっと以前から、ミュージアムはこのような「幼なごころ」を大切にしたほうがいいと思ってきました。
私たちには、さまざまの人生の時間と思い出と忘れがたいオブジェの記憶があります。それらは一様なものではなく、辛いことも含まれれば、砂糖菓子のようにすぐ溶けてしまうようなものも、中勘助の抽斗の中のガラクタのようなものもまじっています。それらは過去の体験の中にあることが多いので、ついつい忘れがちになるか、黙ってしまいこんでいるものになりがちではありますが、実はとても大事なものなので、ときに荘厳な哲学全集や立派なアート作品に匹敵する力をもつのです。

そこで、4階のエディットタウンの両側に並ぶブックストリートの本棚のそこかしこには、たくさんの本とともに、そうした「幼なごころ」を誘う木製ランプや小さな文房具やちょっとしたオブジェを配しておきました。来館者のみなさんがそれらの「心のあてど」から本の世界に入ってもらえるようにしてみたのです。

ジャック・プレヴェールは小学校しか出ていない作家ですが、シャンソンの「枯葉」「バルボラ」の作詞をしたり、マルセル・カルネの名作映画『天井桟敷の人々』のシナリオを書きました。そのプレヴェールに『金色の老人と喪服の時計』というすばらしい作品があります。六歳の少年がお父さんに連れられてプローニュの森の見世物やカフェやサーカスに行ったときの話ですが、私はこういう体験こそがミュージアムでも少し用意されたほうがいいと思ってきたのです。

ミュージアムには、金ピカの変な制服を着た老人が好きなものや、黒い喪服の老夫人が大事にしてきた大きな帽子があったっていいはずなのです。すでに館内には大小のビデオモニターが装填されていますが、そこを覗いていただくと、金色の老人や喪服の時計のようなものが出入りしていることに気がついてもらえると思います。総合演出担当の宮下俊さんと相談しながら仕込んでいるところです。

角川武蔵野ミュージアムを、少しずつそういう「幼なごころ」のためのミュージアムにしていきたいと思っています。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

Pagetop