館長通信

写真:中道淳

No.802024/04/15

本と遊ぶために(1)「話し言葉」と「書き言葉」

角川武蔵野ミュージアムには本がいっぱいです。1階にはライトノベルやマンガや絵本がぎっしりで、4階は全フロアがエディットタウンになっていて、そこに2万冊をこえる書物が賑やかに並ぶブックストリートと、高さ8メートルに及ぶ神秘的な天体洞窟のような本棚劇場が控えます。5階は武蔵野関係や地元の伝承の本と親しめるし、4階から5階への階段には荒俣宏の珍しい洋書が詰まっていて、妖しい光芒を放ちます。

図書館ならばともかく、こんなにいろいろなところで本が語りかけてくるミュージアムはほかにありません。世界でもめずらしい。KADOKAWAのもともとのコアコンピタンス(仕事の核)が本を提供する出版社だということに由来します。

それにしても「本」とは何なのでしょうか。いまでは電子ネットワーク社会が世界中を覆っていて、たいていの情報が電子面をタップしたりマウスオーバーすると得られるようになりつつありますが、私たちの文明と文化はその大半を「本」を通して、さまざまなコンテンツを身につけてきたと言ってもいいのです。そのくらい本は文明文化のエンジンとして機能してきました。

そこで今回からしばらく、「本と遊ぶために」と題した館長通信をお目にかけようと思います。本の歴史や形のこと、なぜ書き言葉によって本がふえていったのかということ、本が版元と著者と編集者と本屋さんで成り立っていること、本を埋め尽くしている文字や印刷のこと、なぜ見開きページ(ダブルページ)に魅力があるのかということ、そのほかいろいろ案内したい。口調も「ですます」にしてみます。

最初に「ことば」というものがどのように普及していったのかということを、眺めておきたいと思います。

私たちの祖先が直立二足歩行して、人類、すなわちヒトが誕生しました。ヒトは火と道具と言葉をつくってサルに別れを告げたと言われますが、ヒト独特の言葉がどのように生まれたのか、詳細はわかっていません。おそらく最初は鳥のさえずりのようなものだったろうとか、ネアンデルタール人は歌らしきものを叫んでいただろうとか、ホモサピエンスに知覚器官の変化があらわれて口腔の形と舌の動きに分節性が発生したのだろとか、あれこれ推測されているのですが、総合的には脳の言語野が確立するにしがって、ヒトは「言葉をもつ文明的な生物」に進化し、なんらかのプリミティブな言葉を工夫したのです。

当初の言葉は話し言葉です。オラリティと言います。これは「口と耳の言葉」であって、「声の言葉」です。初期の人類は2、3歳の幼児がしゃべるような言葉を交わしたにちがいありません。やがてそのようなオラルな言葉が蓄積していくと、それらの中の単語や言い回しを文字にするようになります。そうすると、言葉は「目の言葉」に転換できるようになりました。書き言葉の誕生です。文字を綴る能力はリテラシーと言います。

オラルな言葉をリテラルな言葉に置き換えられるようにしたこと、これが「本」の登場を促したのです。最初から本の中で書き言葉が発達していったのではなく、石板や白板のようなところに書き記されていた文字群がだんだん整理されて、特別なタイプフェイスやフォントに定着して、初めて書き言葉を文字だけで示す技能が確立したのです。

初期文明の文字はメソポタミア楔形文字、エジプト象形文字、中国甲骨文字などでした。粘土棒、パピルス、木や竹の板、骨片などに刻まれました。モーセの十戒はエメラルド板に刻印されたと伝わっています。

では、このような書き言葉は本の中ではどのように充実していったのでしょうか。それを覗くには、いったい「書く」とか「読む」とは、どういう知覚行為なのかということ、また歴史の中で話し言葉が書き言葉に転じていった変遷を知る必要があります。

角川武蔵野ミュージアム館長
松岡正剛
(Seigow MATSUOKA)

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