館長通信

No.152026/3/15
イランへの軍事攻撃に想う
アメリカとイスラエルが中東の国イランを攻撃しました。アメリカはイランと核開発をめぐる交渉中だったのにも関わらず、軍事攻撃に踏み切りました。イランとの交渉は軍事攻撃の準備が整うまでの時間稼ぎでしかなかったように思えます。それにしても、なぜ今だったのか。
トランプ大統領は、大統領になる前の2011年、旧ツイッター(現X)で、「オバマは選挙に勝つためにイランを攻撃するだろう」と投稿していました。まるで現在の自分の行動を予言したような投稿です。
政治家は、自分に不利な状況になると、国民の関心を逸らすために国外で軍事行動を起こしがち。エプスタイン文書の発表でエプスタインとの関係が取りざたされたり、トランプ関税が最高裁で否定されたり、このところトランプ大統領には不都合な状況が続いていました。だから軍事攻撃をしたのではないかとの疑念が晴れません。
イランは、このところ国民の不満を軍事力で抑え込んでいました。数千人の国民が革命防衛隊の発砲により無残に殺害されています。それを止める力が国内にないとき、どうすればいいのか。過去の歴史から「人道的介入」という概念が生まれました。独裁政権によって無辜の人々が殺害されているとき、国際的な軍事介入によって殺害を止めることが認められるという考え方です。
しかし、今回アメリカもイスラエルも、この概念を使用していません。いまの政権や政治体制を倒すことしか考えていないからです。せめて「抑圧されている人々を救うため」とでもいう大義名分を掲げれば国際的な理解は得られたかもしれませんが、両国の首脳ともそんなことは考えていないのですから、この概念が登場しないのです。
すべては力がものを言う。ロシアに続いて、アメリカも。今後は中国も台湾に対して同じような行動に出るかもしれない。世界が、まるで帝国主義の時代の再来のように見えてしまいます。かつてベルリンの壁が崩壊し、ソ連が崩壊したとき、私は「これで世界平和が到来する」と明るい気持ちになったのですが、まさか21世紀になっても、こんなことになろうとは。
どんな理由であっても戦争になると、真っ先に被害を受けるのは子どもたち。イラン南部の女子校が爆撃を受け、少なくとも175人もの女子生徒が亡くなったと報道されました。瓦礫の中から見つかる子どもたちが描いた可愛い絵の数々が胸を打ちます。
かつて角川源義が求めた「平和への願い」。その理想の遠いことを噛み締めつつも、そこへの歩みを止めてはならないのです。
角川武蔵野ミュージアム館長
池上 彰
