館長通信
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No.022025/02/15
「没入」する体験の旅
日本人には絵画の印象派が好きな人が多いのはなぜだろうと考えることがあります。とりわけモネが好きな人の多いこと!
国立西洋美術館で開催された「モネ 睡蓮のとき」も入場者が多かったとのことです。あまりの人の多さにじっくり鑑賞できなかったという声も聞きました。絶賛開催中と言いたいところですが、この展示は2月11日に終了しました。この後は京都、愛知と巡回します。
残念ながら見られなかった人、「もっと見たかった」という人のためにお勧めなのが、本館で開催中の「モネ イマーシブ・ジャーニー」です。当館のウェブサイト上の動画で、その一端を見ることができますが、ここは是非、実際に体験されることをお勧めします。いま「体験」と言いました。本来は「鑑賞」という用語を使うべきなのかもしれませんが、まさに「体験」としか言いようのない光景が展開されるのです。
私が初めて「体験」したときには言葉を失いました。以前にフランスのオランジェリー美術館で見た「睡蓮」の大作にも感動しましたが、それとは全く異質の感動でした。オランジェリー美術館の「睡蓮」は、その画額の大きさにも圧倒されますが、受ける印象は「静謐さ」です。静かに飽きずに見続けることができます。
一方、当館で見るモネの絵は静よりは「動」です。モネの絵から「動」を感じるとは思いませんでした。「イマーシブ」とは「没入」のこと。モネの世界に文字通り没入することができます。さらになぜ「ジャーニー」と続くのか。それは、モネの軌跡を追体験できるから。これは「旅」なのです。
モネは「光のアーティスト」と呼ばれました。彼の絵には光が満ち溢れています。しかし過剰ではありません。たおやかな光の優しさを味わうことができるのです。
モネが「印象派」と呼ばれるきっかけは、1874年のグループ展に出展した作品《印象、日の出》を見た批評家が辛辣に揶揄したことだったと言われています。そこから「印象派」という言葉が生まれたと知ると、その皮肉なこと。
批評とはむずかしいものです。自己の印象(!)で表現するのですから、そこには評者の身勝手さ、乱暴さが見えてしまいます。辛辣な批評は、そのときには大衆受けするかもしれませんが、批評が的確だったかどうかは、やがて時間の経緯によって審判を受けます。批評の恐ろしいこと。宇宙の始まりが爆発で始まったとの新説を批判した学者が「まるでビッグバンじゃないか」と揶揄したら、それがそのまま定着したという故事を思い出しました。 「イマーシブ・ジャーニー」は、芸術における「ビッグバン」かもしれません。この展示は好評につき、3月23日まで延長されました。今度はあなたが展示を「批評」する番です。
角川武蔵野ミュージアム館長
池上 彰