館長通信

No.112025/11/15

角川源義没後50年

角川書店創業者の角川源義は、1945年、敗戦の年に「出版を通して、美しい日本、懐かしい日本を人々に語りかけたい」という思いから、角川書店を創立しました。今年は創業80周年です。

また角川文化振興財団は、角川源義が1975年10月に逝去したことを受け、その遺志に基づいて1976年2月に創設されました。今年は源義没後50年でもあります。そして2020年11月には文化・芸術の振興および個性豊かで活気ある地域社会の発展に貢献することを目的として、図書館・美術館・博物館を融合した複合文化施設「角川武蔵野ミュージアム」を所沢市に開館しました。ご来館いただけるとわかるように、ここにはごちゃまぜの魅力があります。というのは我田引水でしょうかね。

今年2025年は、角川源義の逝去から50年、角川武蔵野ミュージアム開館から5周年の節目にあたります。それを記念して館内では【没後50年特別企画展】角川源義の時代~荒波を越えて~を開催中です。

角川源義は、「出版人」としてだけでなく、「研究者」「俳人」としても多大な業績を残しました。そこでこの展示会は源義の58年の生涯を、出版・研究・俳句の三つの側面から紹介しています。

展示室全体を年表に見立て、人生の節目ごとに詠まれた俳句を手がかりに、その歩みを追体験するというものです。

角川源義は1917(大正6)年10月に富山県に生まれました。この年は第一次世界大戦の最中で、ロシア革命が起きた年。ジョン・F・ケネディや女優の山田五十鈴、コメディアンのトニー谷が生まれた年でもあります。さらにはロシア帝国が崩壊した隙を縫ってウクライナ人民共和国が独立宣言をしています。その後、ソビエト社会主義教国連邦が成立したことで、その内部に取り込まれてしまったのですが。

源義は旧制中学時代に俳句に目覚め、生涯にわたり俳句の道を究めようとしてきました。当時、源義は旧制高校受験のためにナポレオンにならって3時間睡眠で勉強したそうですが、受験に失敗。「ナポレオンは3時間しか眠らなかったのではない。どんな戦況の時でも3時間は寝ていたのだ」というのを教訓とするようになります。若さゆえの失敗と反省ですね。

1937(昭和12)年、神田の古書店で折口信夫の『古代研究』を発見。値段を値切って購入するも夢中になって帰りの電車を乗り過ごすほどに熱中したそうです。ここから彼の研究者としての歩みが始まります。

第二次世界大戦後の1945(昭和20)年、源義は板橋区の自宅の応接間を事務所として数人の社員と共に出版社を創立します。これが「角川書店」の誕生です。出版直後からキルケゴールの訳書を次々に出版します。志の高さに驚きますが、当然のことながら経営は厳しく、1949(昭和24)年、再建をかけて角川文庫を創刊しました。創刊の辞は、本ミュージアムの入り口ロビーにも掲げてあります。

「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し、痛感した。(中略)自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗して来た。そしてこれは、各層への文化の普及浸透を任務とする出版人の責任でもあった」

没後50年、私たちは源義の遺言を、どこまで継承できているのでしょうか。私たちの歩みは、これからも続くのです。

角川武蔵野ミュージアム館長
池上 彰

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