基本情報
2023.2.4 (土) 〜 5.7 (日) 10:00 〜 18:00
休館日:第 1・3・5 火曜日
◎金曜・土曜は21:00 まで開館。◎最終入館時間は閉館時間の30分前。◎休館日が祝日の場合は開館・翌日閉館。◎祝日開館時の営業時間は該当する曜日に準じます。◎開館日・時間は変更される場合もございます。◎休館日の最新情報は公式ウェブサイトをご確認ください。
※展示内容が変更、または中止になる場合がございます。予めご了承ください。
1階グランドギャラリー
※JR武蔵野線「東所沢」駅から徒歩約10分。
※有料駐車場はございますが、台数が限られております。
角川武蔵野ミュージアム
〒359-0023
埼玉県所沢市東所沢和田3-31-3
ところざわサクラタウン内
TEL: 0570-017-396
(受付時間:10:00-17:00)
チケット | オンライン購入 | 当日窓口購入 |
---|---|---|
一般 (大学生以上) | 1,800円 | 2,000円 |
中高生 | 1,300円 | 1,500円 |
保護者同伴の 小学生・未就学児 | 無 料 |
※保護者1名につき小学生2名まで無料でご入場いただけます。
タグコレの廻り方
「タグコレ 現代アートはわからんね」展では、ミュージアム全体をタグコレ作品でジャックするという考えのもと、メイン会場である1階グランドギャラリー以外の各エリアにも様々な作品を展示。 4階のエディットタウンや、屋外・エントランスなどのフリースペースにも作品がございます。 ミュージアム全体でアートをお楽しみください。
※展示場所は「出品作品」をご覧ください。
※4階エディットタウン(スタンダードエリア)への入場は、別途「KCMスタンダードチケット」が必要です。 「1DAYパスポート」チケットであれば、1階グランドギャラリー、4階スタンダードエリアともに入場できます。
「タグコレ」展とは?
「現代アートは気になるけれど、
よくわからないなぁ……」
そう思っているのはあなただけではありません。
そうした思いから出発して、日本を代表する現代アートコレクションを作った人がいます。
現代アートとまったく縁のなかった昭和のビジネスマン、田口弘さんが、いかに現代アートに出会い、引き込まれていったのか?
アートとの出会いで経験した驚きや発見などを、タグチアートコレクション(以下、タグコレ)およびミスミコレクションの作品を通して追体験できる展覧会です。
作品をコレクションしていくのは「スキ!」という思いからだけではなく、様々な理由があります。
そして、実際に作品を買うときのワクワク、ドキドキ感はコレクターの醍醐味です。
そうしたコレクションの舞台裏も紹介します。
コレクターは十人十色。
買い集めた作品には、それぞれのコレクターのカラーが色濃く反映されます。
田口弘さんから娘の美和さんへとコレクションの運営は引き継がれ、そのカラーも少しずつ変化しています。
タグコレを通して、私たちはアートの世界の変化やその幅広さを感じることができるはずです。
タグコレは、コレクターが秘蔵する閉じたコレクションではありません。
みんなに見てもらいたいという考えを中心にもつ、開かれた現代アートコレクションです。
本展はタグコレの作品を通して、「わからないなぁ」と現代アートを敬遠してきた人たちに、その距離を縮めてもらえる展覧会です。
同時にタグコレは世界の最先端の本格的なアートコレクションでもあり、現代アートファンにはいつもとは違った角度から楽しんでいただける内容ともなっています。
内容紹介
未知との遭遇
田口弘さんと現代アートとの出会いは、まさに「未知との遭遇」。 「現代アートはわからんね……」。 そんなことをつぶやきながら、アートに惹かれ、集めた作品を紹介します。 わからないからちょっと怖い。 でも少しわかるとおもしろい。 そんな出会いをみなさんにも味わってもらえたらと思います。
コレクションは広がる
「この作品、好き!」から始まったタグコレ。 好きな作品のアート界での位置づけやバックグラウンドを知ることで、次に見るべき作品や作家が見えてきます。 その手助けをしてくれる重要な存在がアドバイザー。 コレクションが広がっていくうえで欠かせない存在です。 アドバイザーとの二人三脚でタグコレがどのように発展していったのか、ご覧いただきます。
作品を買うということ
お金さえあれば作品は買えると思っていませんか? 多くの人たちが欲しがる作品はお金があっても買えません。 作家やギャラリーは、高く買ってくれることよりも、良いところに買ってもらいたい。 それが作家の評価にもつながるからです。 コレクション作品とあわせて、売り手優位のこの世界で良い作品を手に入れるための苦労話を紹介いたします。
アートは変わる、
世代も変わる
アートは常に変化し続けています。 今では多くの現代アートが、貧困や差別、暴力、ジェンダーなど社会の様々な課題をテーマとしています。 タグコレは、父から娘にバトンタッチされ、その内容を少しずつ変化させてきました。 それは同時に、アートの世界の変化を映し出してもいるのです。
作品はみんなのもの
アートコレクションの歴史は、権力者や富裕層が自分の楽しみや自己顕示のために作品を集めたことから始まりますが、タグコレはちょっと違います。 いろいろな美術館に作品を貸し出したりするだけでなく、学校の体育館で展覧会を行ったり、作品のカードゲームを作ってみたり。 現代アートを見てほしい、楽しんでほしい、それがタグコレ。 みなさんが主役なのです。
コンセプト
タグコレと角川武蔵野ミュージアムの挑戦
神野真吾(「タグコレ」展ディレクター、角川武蔵野ミュージアム アート部門ディレクター)
タグチアートコレクション(以下、タグコレ)の所蔵品を中心とした本展を特徴づけるコンセプトは、大きく二つあります。
1.コレクションをめぐるストーリーなど、文字情報を重視した展示
2.現代アートの作品体験のための、従来とは異なる展示空間の工夫
これらを通して、現代アートとみなさんの間に新たな関係を作っていただけたらと考えています。
文字情報が少ないことは正義?
展覧会に展示される作品には、多くの場合、キャプションと呼ばれる基本情報が書かれた小さな表示板が掲示されています。 基本情報とは、作家名、タイトル、制作年、素材および技法、サイズおよび時間、所蔵の経緯(購入したのか寄贈されたのかなど)が主なものとなります。 そのほかには、その作品や作家についての情報が書かれた解説パネルが付される場合もあります。 こうした情報がアート作品の鑑賞には最低限必要だと考えられているということになりますが、それは物としての作品を美術史的視点で語る場合に、それらの情報が重要だと考えられているからです。
もちろんこの視点はとても重要なものです。 誰が作ったのか、いつ作られたのか、どんな素材で、どんな方法で作られたのか、アート作品にある程度慣れ親しんでいる人たちは、その情報からその作品の意味づけを自分で行っていくことになります。 もちろん、すべての鑑賞者が美術史をくわしく学んでいるわけではないので、キャプションだけでは十分でないことも多く、その作品(あるいは作者)がなぜ価値があると考えられているのか、ということを説明する解説文が示される場合もあります。
しかし、みなさんも経験があるかもしれませんが、キャプションや解説文のパネルがとても小さくて読みづらかったり、場合によっては、どこにあるのか探さなければわからないほど作品と離れて掲示されていたりすることも少なくありません。 特に現代アートの場合、その傾向は強いと言えます。
その理由は、アートとは感性によって受け取るもので、文字情報などの知識によって理解させるのは本質的ではない、という考え方が根強いからだと言えます。 たしかに見て感じることはアート体験の本質なので、知識を得てわかったことにしてしまうのは、そこから外れしまうという考えは間違っていません。 しかし、19世紀末以降のアート作品は、目で見て感じるだけで理解できるものは少数派だと言えます。 それを成り立たせている歴史的経緯や、そのなかで生じた理論的な話などを知らなければ、その世界に近づくことさえできないということになってしまいます。 現代のアートが難解だ、わからないと言われてしまうのはそれを背景としていますが、それにもかかわらず文字情報の提供が少ないのは、不親切であるばかりか、美術の門外漢を排除しようとしているのではないかとさえ思えます。
本展では、そうした問題意識をもち、作品のよりよい鑑賞環境は追求しつつも、必要な文字情報をできるだけ鑑賞者に提供し、これまで現代アートになじみの薄かった人たちにも、その世界を楽しむ第一歩を踏み出してもらいたいという思いから生まれました。
作品がコレクションになるストーリー
作品・作者についてのわかりやすい文章をご提供するほか、本展では、それぞれの作品がタグコレの作品となるに至った興味深いストーリーを重要な要素としてご紹介しています。 これはほかの展覧会では見られない取り組みかと思います。 コレクションの創始者の田口弘氏、コレクション形成のアドバイザーとして大きな役割を果たしている塩原将志氏、コレクションの運営を弘氏から受け継ぎ発展させている田口美和氏の語りによるコレクションのストーリーには、とても人間くさい側面がありますし、アート業界の外側からは見えないその世界ゆえの驚くような話も含まれています。
私たちの目の前にある作品のそんなストーリーを知ることは、正統な美術史的理解からすれば、重要ではないのかもしれません。 しかし、ある対象に対して人が関心をもつのには様々なルートがあるのが普通で、アートにおいてもそうしたアプローチはあってよいのではないかと考えます。 特に、難しいと思われがちな現代アートであればなおさらです。 本展で出会う様々なストーリーを通して、作品を身近に感じていただき、まるで自分のコレクションであるかのように思ってもらえたらと考えています。
ホワイト・キューブからブラックな異世界へ
美術館の展示空間は基本的に白一色で、装飾的なものも一切ないというのが基本だとされています。 業界的にはそうした展示空間を「ホワイト・キューブ」と呼んでいます。 つまり、白い四角い箱のような空間がアート作品の展示には最も適しているということなのです。 もちろん、ルーブル美術館のような、かつて宮殿として造られた空間が美術館に転用された場合は、それが歴史的建造物でもあるため、もともとの空間装飾は残っており、すべての展示空間がホワイト・キューブであるわけではありません。 しかし、20世紀初め以降に造られた美術館の場合は、ほとんどがホワイト・キューブの空間になっています。 ホワイト・キューブが美術館の展示空間の基本になったのには理由があります。 それは、作品は作品の中にある視覚情報以外の何物にも影響されるべきではないという考えによります。 言い換えるなら、色彩および形態による影響を空間は与えてはいけない。 空間の違いによって作品の見え方が違っては困るということです。 その後、空間のもつ力や、その空間の固有の意味を作品の要素とする「インスタレーション」作品が出てきたりもしますが、展示空間がニュートラルであることが基本形であるのは、いまも変わりません。
今回私たちは、文字量の多い展示に取り組むことになったわけですが、文字とそのパネルが物として存在感を示すことは好ましくないと考えました。 物質的な存在感を感じさせるのは作品だけであってほしい。 文字は情報としてのみ存在するようにしたいと考えたとき、作品にのみ照明の光を当て、空間の中に物として、イメージとして浮かび上がらせ、文字のほうはそれ自体が発光して情報のみを伝えるというアプローチが効果的ではないかと考えました。 そのため本展の展示室は白い箱ではなく、漆黒の空間となり、従来の展示空間とは真逆のものとなっています。 しかし、鑑賞者を作品そのものと集中して向き合わせたいというホワイト・キューブの狙いと、このブラックな空間は齟齬を来してはいません。 現代の技術があるからこそ可能となっただけで、鑑賞の本質を違えているわけではないと強く確信しています。 また、近年のミュージアムが外部と内部の境界を曖昧にし、開かれたあり方を体現するような建築が多いのに対して、角川武蔵野ミュージアムは堅固な城壁のように外界から閉ざされた、いわば異世界としての展示空間を持つことを特徴としています。 アートの異世界をグランドギャラリーの中に生み出すことで、その世界に浸ってもらう挑戦に取り組むことは、隈研吾による異形のミュージアムを戴くわれわれの使命でもあるように思われます。
私たち角川武蔵野ミュージアムのこれらの挑戦を楽しんでいただけたらと思います。